先日<速報>でお届けしましたが、1/19(木)に「龍王山城 北城・南城」(奈良県天理市)に登城してきました。
昨日のブログでは「龍王山城・北城」登城をお届けしましたので、本日はその続きの「龍王山城・南城」をお届けします。五叉路から「道標」の方向へ再び山道に入っていきます。
五叉路の合流地点
山道を少し上がった所に「柳本龍王社」の小さな祠が現われ、その前には水が湧いているようでした。ここが、この「南城」の「水の手郭」に相当する場所のようです。
「余語さん縄張り図」をお借りしました
「南城」の「水の手」跡でもある「柳本龍王社」
この脇を抜ける道が少し上で左右分かれていたので、右手に進み「龍王社」の真上を通って進みました。暫く進みましたが、一向に「南城」の標識が目に付きません。これはおかしいぞと思い引き返すと、「龍王社」脇の道を左手に行くような表示があって、私は「龍王社」の祠にばかり目を取られていて見落としていたようです。
見落としたと思われる道標
左手の坂道を上がるとすぐ左には「土塁」を伴う「9郭」跡があり、右奥には「8郭」跡が奥へ延び、右手には「4郭」跡が横たわっています。「8郭」跡と「4郭」跡の間は「堀切」で分断されています。
「9郭」跡の「土塁」
「8郭」跡と「4郭」跡の間の「堀切」
「4郭」跡には結構長い階段が付いていて、「4郭」跡に上がれるようになっていました。「4郭」跡は細長い郭で、その突当りには階段があって小さめの「3郭」跡に上がります。
下から「4郭」跡へ上がる階段
「4郭」跡
「3郭」跡の虎口
「3郭」跡
「3郭」跡から「2郭」跡に上がる階段は、見るからに古い石が嵌め込まれていて当時のモノのように思われました。「2郭」の突当りにも先程のモノと同様の石段があり、そこを上がるといよいよ「1郭=南城本丸」となります。
「3郭」跡から「2郭」跡への登り口石段
「2郭」跡
「1郭=南城本丸」跡への石段
以上のように、「4郭」跡から「1郭=南城本丸」跡までの間は尾根を利用した「連郭式縄張り」で、段々に造成した構成になっていました。
「1郭=南城本丸」跡がこの「龍王山山頂」の最高峰585m地点になり、展望台になります。「1郭=南城本丸」跡にはゴツゴツした岩が露出していました。ベンチも置かれ、眺めを見ながら暫し水分補給と甘辛おやつの補給を行いました。
「1郭=南城本丸」跡
ここから見える眺めは、「奈良県景観資産」に選ばれていて「奈良盆地」を眺望でき、晴れた時には山間から「明石海峡」も望める最高峰です。あいにくモヤがかかっていましたが、左手から「金剛山」「畝傍山・耳成山」「二上山」「奈良盆地」「信貴山」「生駒山」まで一望できました。
「金剛山」、手前の小山が「畝傍山」「耳成山」
「二上山」
「生駒山」
「1郭=南城本丸」跡東側にある「5郭」跡に行くために、両郭間の深い「堀切」を底を目指して下りました。深い「堀切」底から両郭跡を見たのち、「5郭」跡にも上がってみましたが特に特徴はありませんでした。
「1郭=南城本丸」跡東側にある「堀切」を見下ろす
「1郭=南城本丸」跡東側の「5郭」跡に下りるとその間の深い「堀切」
「堀切」底から「1郭=南城本丸」跡を見上げる
「1郭=南城本丸」跡の北側下は「帯曲輪」跡が拡がる
「郭5」跡
更にその東側にある「6郭」跡と「5郭」跡の間にも「堀切」が施されています。「6郭」跡の上によじ登り、降りる際に太い木を掴んだ途端、その太い木の中が空洞であって見事に折れて身体は滑りましたが、無事立て直すことができました。
「5郭」跡と「6郭」跡の間にも「堀切」
「6郭」跡
「6郭」跡の東側
余語さんの「縄張り図」を基に、「6郭」跡下から「7郭」跡を南側に迂回する道を進みました。進むにつれて、道も細くなり分かりにくくなっているので不安になりながら前進しました。途中、山道に転がる苔生した石が見られて綺麗でしたが、「7郭」跡南下にあることになっている「横堀」には出くわすことが出来ず、「10郭」跡も判らず仕舞いでした。
「本丸」跡南側下の山道に転がる苔生した石
このような岩石も見られた
「郭7」跡の南下辺りか?
「土塁」が見えるが、「郭7」跡下の横堀沿いの「土塁」か?
「郭10」跡か?
進んでいくうちに、「柳本龍王社」で間違って右手に進んだ山道に出ましたので、取り敢えずはホッとして「龍王社」まで戻ってきました。
下山開始は14時50分、あまり遅くなると冬の山道は暗くなりますので下山を急ぎました。
しかし、難儀して登城した道は、下り道程神経を集中していないと思わぬトラブルとなりますので慎重に進みました。
登る時に追い越して行った人が、「不動石仏」の場所で後ろから一気に下りてきて抜かして走り去りましたが、「山岳トレイルラン」をしている人でしょうか。岩の坂道をモノともせずに一気に下って行きました。
国道に出て、スマホで帰りの列車を調べると「柳本駅」15時49分発の「奈良」行でしたので、間に合わすべく必死になって歩きました。
帰りも「奈良」経由で、近鉄に乗り替え大阪へ向かいました。流石に、非常に疲れて電車内ではウトウトの連続でしたが、比高差約500mを踏破でき、国人領主「十市氏」が築いた大和国最大規模の「中世城郭」を制覇できた満足感に浸ることができました。
JR「まほろば線」車両(奈良駅にて)
「奈良駅観光所」(旧JR「奈良駅」を横に移動させて移築した建造物)
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