16城の「お城紀行」を優先して投稿していたので、暫く中断していた「お城」の「天守台シリーズ」を前回から再開しています。本日第55弾は、「篠山城」です。

 

現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。

 

「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」だけは築いておくケースもありました。

 

「天守台」は、石垣の場合があったり、土塁上に築かれる場合もありましたし、石垣の場合は「野面積み」「打込接」「切込接」等の加工の仕方や積み方があったり、また武者返しや高石垣或いは数段しかない場合など、非常にバリエーションがあって面白いです。

 

 

篠山城」(兵庫県丹波篠山市は、「大坂城」に居城していた「豊臣秀頼」を牽制するために、「徳川家康」が1609年に命じて、天下普請によって約6ケ月で完成させました。

 

縄張りは「藤堂高虎」が行い、天下普請には、「浅野幸長」「蜂須賀至鎮」「加藤嘉明」「福島正則」「池田輝政」等の豊臣恩顧の大名が動員され、築城総奉行は「輝政」が担いました。

 

そして近くの「八上城」に入っていた「(松井)松平康重」が入城し、城下町も充実させました。

 

縄張では、お城の南東隅に「天(殿)守丸=本丸」を設け、更にそこの南東隅に「天守台」を築き、当初は「天(殿)守丸=本丸」に連立式天守を築く予定だったようですが、次に築城予定の「名古屋城」へ力を注ぐべく手伝い大名も移動させなければならず工事は中断され「天守」は建築されなかったようです。

 

「天(殿)守丸}跡(天守台から)

 

その結果「天守台」の上には「平櫓」を建て、「天(殿)守丸=本丸」の三隅に二重櫓を置いて多聞櫓で連結させました。

 

「天(殿)守丸」に築かれた「天守台」(北西方向から)

「天(殿)守丸」に築かれた「天守台」(西方向から)

「天守台」上

 

現在は19m×20m、高さ4mの「天守台」が残り、隅石は最新技術が導入された「算木積み」となり緩やかな扇の勾配を描いています。また、石の加工法は「打込接」で積み方は「乱積み」となっています。

 

「天(殿)守丸」の南東隅に築かれた「天守台」(南東方向から)

「天(殿)守丸」の南東隅に築かれた「天守台」

「天(殿)守丸」の南東隅に築かれた「天守台」(南西方向から)

「天守台」の南東隅の「算木積み」

 

 

 

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