全国の“二重櫓”を巡る」をテーマで、「現存」と「復元・復興・模擬」の「二重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南にかけてお届けしています。

 

本日第31弾目は、「今治城 御金櫓、武具櫓、山里櫓」の三基です。

  

①「今治城  御金櫓、武具櫓、山里櫓」(愛媛県今治市)   御金櫓・武具櫓はRC造外観復元もしくは復興、山里櫓は木造外観復元

 

築城名手の「藤堂高虎」は「豊臣秀吉」時代に与えられた「宇和島城」から、東軍に属した関ケ原の戦い後に加増されて、伊予半国20万石を得ます。

 

「今治城」を建築して1604年に完成するも、1608年には「徳川家康」の信任が厚いことから伊勢・伊賀に移封となります。その際、「家康」から天下普請で築城を命じられた「伊勢亀山城」へ天守を解体して移築したとも言われています。

 

暫くの間、2万石分が今治にあったので養子の「高吉」が城代を務めました。その後、「松平(久松)定房」が1635年に入城し、以降、「久松松平家」が幕末・維新まで当家が統治を続けます。

 

御金櫓」は、「二の丸」北東隅に建てられた櫓で、西側と南側に「続櫓」を伴い破風は付けない簡素な外観ですが、二階の城外には3箇所の窓を設けていて1箇所は低く切られています。これは、大砲を発射するための「大狭間」で、全国的にも珍しい攻撃装置だそうです。

 

外観復元の「御金櫓」と模擬「天守」

外観復元の「御金櫓」(「続櫓」が付随する、模擬「天守」より)

外観復元の「御金櫓」(二階には3箇所の窓)

外観復元の「御金櫓」と「続櫓」(城内より)

 

また、櫓下と「内堀」の間には「犬走り」を伴っています。

 

外観復元の「御金櫓」と櫓下の「犬走り」

 

こちらは、古写真に写っていましたので、1985年にRC造で外観復元されました。

古写真(手前が「御金櫓」、奥から「南櫓」「月見櫓」、城内掲出写真より)

 

武具櫓」は、北側の正門で「多聞櫓」とともに枡形を形成する「鉄御門」を監視する目的で「二の丸」北西隅に配備された櫓です。

 

東側と南側には続櫓を伴いますが、「御金櫓」「山里櫓」の古写真を参考にして、1980年に「天守」「多門櫓」とともに、RC造で外観復興されました。

 

外観復興「武具櫓」と模擬「天守」(二階には3箇所の窓を設けている)

外観復興「武具櫓」と復元「御鉄門」(左)、右奥には復元「山里櫓」

外観復興「武具櫓」(「御鉄門」前の土橋より)

 

山里櫓」は、「二の丸」南西隅に置かれ、その西側下に構える「裏門」を守る櫓でした。

 

当櫓は北方向に続櫓がありましたが、東側には櫓門の「山里門」が続いていました。また外観は、上記二櫓と同様に城外面の壁には3箇所の窓を持つ外観仕様になっていました。

 

こちらは、1990年に古写真に基いて木造で外観復元されています。

 

木造外観復元の「山里櫓」と「山里櫓門」(西側から、左下が「裏門」)

木造外観復元の「山里櫓」と「山里櫓門」(二階には3箇所の窓、南東側から)

木造外観復元の「山里櫓」と「続櫓」(北西側から)

木造外観復元の「山里櫓」と「山里櫓門」(模擬「天守」から)

木造外観復元の「山里櫓」と「山里門」と模擬「天守」(南西側から)

 

 

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