私がかつて訪城した約25城の「模擬天守」を順次お届けしています。

 

以前のブログでも記載しましたが、今や市町村のシンボルで市民権を得た状態で聳えている等という理由で、「模擬天守」を採りあげました。そして「模擬天守」について以下の分類があることも簡単に纏めました。

 

お城に「天守」があったものの、現在城域外のかなり違う場所に「天守」が建てられている場合

お城に「天守」があったことが絵図で描かれているが、その絵図とは全く違った形状の「天守」が建てられている場合

お城に「天守」があったものの、「天守」の形が絵図や発掘物等何もなく判らない場合

確かにその場所にお城が有ったと思われるものの、「天守」があったという史実が無い或いは確認されていない場合

お城が有ったという史実が全く無い或いは確認されていない場合(今回のシリーズではこれは割愛します)

 

江戸時代に「藩庁」だった「お城」で、本日お届けするのは、「富山」(富山県富山市)の模擬天守です。随分前に訪城しましたので、写真はアナログで少し見にくいですが、お許しください。

 

模擬天守(二層目の上に望楼が乗り、軒唐破風と千鳥破風を付ける)と多聞櫓(南側から)

 

「富山城」は、16世紀の中頃に「神保家」の家臣「水越勝重」が築城するも、一向一揆や「上杉謙信」に攻められたりします。そして、「織田信長」が越中を掌握すると、「佐々成政」を入城させて大改修が行われます。

 

「成政」は、「豊臣秀吉」と対立したことで当城から追い出されて、「前田利家」の領地になります。「前田家」の所領となってからは、1639年に前田家三代目「前田利常」の次男「前田利次」に領地を分け与えられて独立し、1661年には当城が修復されました。

 

「富山城」内に「天守」等の建築を申請していたそうですが、現存の古図面上には「天守」が描かれたものが全くないので、「天守」は築かれなかったと言われています。

 

現在の「天守」は、「犬山城」や「彦根城」を」を参考に、1954年(昭和29年)と早い時期に建築された「模擬天守」で、館内は「富山市郷土博物館」として利用されています。

 

南西側から

 

模擬天守上には高欄・廻縁、華頭窓が付く(富山城址公園から)

模擬天守、鉄御門櫓門、小天守(富山城址公園から)

 

この「模擬天守」は、「鉄御門」桝形を見下ろすような位置に建てられ、天守の形式は、三重四階で複合連結式望楼型、二重二階の「小天守」を伴っています。

 

「鉄御門」の桝形(西側から)

 

最上階には、見栄えを良くする仕掛けとして、「高欄・廻縁」を設け、各面には「華頭窓」が取り付けられています。一階北側の壁面には北陸地方特有の寒さ対策として「海鼠壁」が施されています。

 

当「模擬天守」(富山市郷土博物館、佐藤記念美術館)は、既に築城後66年を経過しており国の「登録有形文化財」に指定され、周囲の「富山城址公園」は市民の憩いの場になっていて、地元にしっかりと根付いています。

 

次回ブログは、「勝山城」(福井県勝山市)の模擬天守をお届けします。

 

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