昨日に続き、久松系松平家のお城「今治城」の城内を廻ります。

 

模擬天守と多聞櫓、手前西隅櫓跡

本日は、本丸と二の丸を包み込む広大な内堀、しかも海から海水が流入していて、鯛やヒラメだけでなくサメやエイまでも泳ぐ内堀を眺めながら、登城していきます。

 

現今治城図

内堀(30間・60m)と正面の土橋

登城口は、「鉄御門(くろがねごもん)」と「山里門」の二箇所ありますが、本日は土橋を通り「鉄御門」から入ります。入口手前から内堀を見下ろすと、石垣に沿って通路が見られますが、「犬走り(いぬばしり)」が設けられていて地盤の強化を図っているようです。

 

石垣下の犬走り

2007年に復元された「鉄御門」は、渡櫓門そしてそれに続く多聞櫓で構成されており、橋を渡って門の正面には、巨大な石を埋め込んであります。所謂、入場する者に対して威圧を感じさせる目的で置かれた「鏡石」ですが、当城では「勘兵衛石」と呼ばれて、籐堂高虎の重臣渡邊勘兵衛が据えた石ということで、重臣の名前が付けられたようです。

 

鏡石の「勘兵衛石」

復元鉄御門から武具櫓間の多聞櫓

復元鉄御門と多聞櫓内部

復元鉄御門と多聞櫓内部

門の突き当りを右に折れると渡櫓門を通り抜け二の丸に入りますが、昨日写真で紹介しました「藤堂高虎像」が目に入ります。渡櫓門から北側に延びる多聞櫓の先には「武具櫓」が、南側に延びる多聞櫓の延長上の石垣の上には「御金櫓(おかねやぐら)」が復元されています。

どちらも、武具を収めた蔵、金目のモノを収めた蔵だったんでしょう。

 

復元土塀と控柱

二の丸跡

鉄御門、武具櫓(いずれも復元)、模擬天守閣

御金櫓と続き櫓(城内から)

「武具櫓」から西側に延びる石垣上には「山里櫓」も復元されていて、その脇には「山里櫓門」が付随していて、そこを潜りますと山里下曲輪を形成しています。そして、高麗門の「山里門」から三の丸方向への出入口となっています。

 

復元山里櫓と続き櫓、山里櫓門

復元山里櫓と復元武具櫓(左)

復元山里門(高麗門)

二の丸跡から上段にある本丸跡には、「模擬天守閣」と「吹揚神社」の建物が所狭しと拡がっていますが、天守閣前には模擬の「表門」が建てられています。

 

模擬本丸表門(櫓門)と模擬天守閣

模擬本丸表門(櫓門)

昨日に触れましたが、「模擬天守閣」は破風がいっぱい付いた層塔型五重六階コンクリート造りで、1980年に建築されました。その模擬天守閣から本丸西隅に建っていた「西隅櫓」跡に向かっては「多聞櫓」が再建されています。

 

模擬天守から西隅櫓跡に伸びる復元多聞櫓

また本丸の南隅には、「南隅櫓」跡の櫓台石垣が、「南隅櫓」跡の櫓台と「御金櫓」の櫓台の間を繋ぐ「多聞櫓」跡の中間には、「月見櫓」跡の櫓台がありますが、この古写真も残っています。

 

本丸南隅櫓跡

本丸月見櫓跡石垣(出張った所)

本丸と二の丸の周囲を「多聞櫓」で囲い、その要所要所には二重の櫓が置かれ、更には幅が5間(60m)の内堀に守られるという、非常に堅固な縄張りと作事のお城は、やはり藤堂高虎ならではのお城なんでしょうね。

 

次回は、久松系松平家の最大のお城「松山城」をご紹介していきたいと思います。