日高晤郎「つづれ織り」

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1990年に発売された、日高晤郎「つづれ織り」が、MEG-CDで復刻されました。

 

子供の頃から日高晤郎さんのテレビやラジオを聴いて育ち、社会人になって関東にきてからラジオが聞けなくなり、2014年、ラジコで再び「日高晤郎ショー」が聴けるようになって大喜びしていた時、

 

日高晤郎ショー雪祭りSTVホール公開の最後に、いつもの「街の灯り」の前にこの「つづれ織り」を歌われていまして、大変感動しました。

 

今年4月3日、日高晤郎さんがお亡くなりになり、ネットでこのCDを探しましたが25年以上前のCDで、中古でも存在せず、諦めていたのですが、6月2日のSTVラジオ「日高晤郎ショーフォーエバー」で、6月13日に復刻版として発売されることを聞いて、とても喜びました。

 

そして、無事に届きました。

 

たくさんの素晴らしい歌人と、人生について、私はほぼ日高晤郎さんの何気ない毎週の一言から学んで生きてきました。

それが、活かされなかったことの方が多いですが、それでも最後の最後まで、日高晤郎ショーは聴き続け、今も「フォーエバー」を引き続き聴いています。

 

日高晤郎さんが番組の中で「天才は100年に1度、一人しか生まれない。そんな天才、天童よしみと同じ時代に生まれて、俺は幸せだった」と何度かおっしゃっていましたが、私にとっての天才は、言葉の天才、生きることの天才の日高晤郎さんという人と同じ時間を生きたことが幸せだと思っています。

 

「たそがれの中を たそがれの中をゆけよ」

という歌詞の通り、日高晤郎さんはたそがれの中に行ってしまいましたが、ずっと思い続けることで、私の中で、日高晤郎さんは生き続けています。

そして、この「つづれ織り」も。

 

こんな美しい音楽が、1990年にすでに生まれていたことに驚きですが、同時にこの素晴らしい音楽に出会えたことにも、感謝です。

吹奏楽曲「風紋」Logic Pro X

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吹奏楽界では名曲中の名曲、保科洋作曲「風紋」。

 

Logic Pro X のデフォルト音源に、スタジオストリングスと、スタジオホーンが増えたので、そのスタジオホーンの音を使って、データを手直ししました。
 
何が出来るようになったのかというと、鍵盤を押したら音が鳴って、鍵盤を押したら音が消えるという今までの手法から、
 
スタッカートやマルカート、クレッシェンド、フォール、ドゥーイットなどなど、いくつかのアーティキュレーションが使えるようになりました。
 
デジタルパフォーマでは標準だった、鍵盤(キースイッチ)と音を出すための鍵盤の組み合わせで様々なアーティキュレーションが鍵盤で演奏出来るという手法も、Logicに備わったようです。 

それを踏まえて、元々のデータを作り直しました。
 
強弱の幅と、音程によって元々の音の響きが変わってしまうのは昔のままで、これは仕方がありませんが、それでも表現力の幅が増えたので、嬉しい機能ではあります。

日高晤郎さん

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久々の投稿になりました。

 

4月3日、日高晤郎さんが74歳で他界されました。

 

私は1980年代後半の小学生の頃、札幌テレビ放送「日高晤郎のスーパーサンデー」を見ていた頃から好きな人で、

高校を卒業して、札幌の専門学校に行く頃には、すでにSTVラジオ「ウィークエンドバラエティー 日高晤郎ショー」を聴いていました。 

 

1997年7月、IT関係の派遣会社に就職があっけなく決まりましたが、東京に出るのが嫌だったので、札幌市内の音楽事務所に片っ端から電話をかけて、自分で作曲したデモテープを送ったりして、札幌市内での就職を探していました。

 

そんな矢先、旭川の人だったか、「愛する夫を失い、子供達はみんな東京。子供達は東京においでと言っているけど、でも私は北海道が好きなので離れたくありません。」という手紙が、16時台のメッセージのコーナーで読み上げられ、それに対して日高晤郎さんは、

「北海道の中にいたんじゃ、北海道の良さなんかわからないよ。北海道が本当に好きだというのなら、いっぺん離れて見なよ。それで本当に北海道がよければ、戻ってくればいい。」

とおっしゃっていました。

その一言で、私が東京に行くことに、なんもためらいもなくなり、1997年10月1日、就職のため札幌を離れました。

 

この頃、日高晤郎ショーでは、五木ひろしさんの「酒尽尽」、市川由紀乃さんの「越後絶唱」がよく流れていました。

私は歌謡曲や演歌には疎かったのですが、日高晤郎さんの歌人の紹介、そして歌の紹介があまりにも美しくて、その情景が浮かんだ頃に、歌が入るという、素晴らしい演出をしていました。

そしてなによりも、若い人が演歌を歌っているということに驚き、すぐに「越後絶唱」のシングルCDを買いに行きました。

それが、私が演歌を買った最初でした。

 

1997年6月21日、恩師、勝新太郎さんが亡くなりました。

その日の16時台「北の出会い」で、日高晤郎さんは勝新太郎さんを語りました。

昨夜、その録音したMDを久しぶりに聞きましたが、あらためて師匠を思う弟子の語り口調が、本当に優しくて、勝新太郎という師匠を愛していたんだなと、今聞いても、思う存分伝わってきました。

 

東京に出てきてすぐ、お金を貯めて、色々なラジオを書いましたが、結局北海道のSTVラジオの電波は受信できず、2014年

からラジコで全国のラジオ番組が聴けるようになって、真っ先に聴いたのが、STVラジオの日高晤郎ショーでした。

そして、その日から、毎週土曜日9時間、必ず放送を録音し続けて、家にいない日は、家を出る直前からずっと録音したりして、2018年、3月31日の放送まで全部残してあります。

 

20年前に最後に聞いた、日高晤郎ショーの雰囲気、何も変わっていなく、年齢はとっているのに、それを見せないパワーがラジオから聴こえてきて、思わず私も20年前の子供の頃に戻ったような気持ちで聞いていました。

 

1996年頃、日高晤郎さんは、「縁と絆」の話をされていました。

「縁と絆。縁というのは、糸のふち(縁)をお互いが持っているだけなんだ。その糸をお互いが半分ずつ、強すぎず、弱すぎず。ちょうどいいバランスで引っ張る。そうすると、糸偏に半分で「きずな」(絆)になるんだよ。」

 

そして、こんなことも言っています。

「一人で夕焼けを見て「綺麗だ」と思うのと、たくさんの人と一緒に夕焼けを見て「綺麗だ」と思うのと。どっちがより深く感動すると思う? みんなで一緒に感動した方が良いに決まってるじゃないか。感動っていうのは共有することが大事なんだよ」

 

ラジオを聞いていなかった時期、いつもその言葉が脳裏に浮かんでました。忘れるわけがありません。

 

そして、再びラジコで日高晤郎ショーを聴き始めて、どれだけたくさんの出会いがあったか。

スピーカーの向こうなのに、スタッフのみなさん、スポンサーのみなさん、そしてたくさんのお客様。

日高晤郎さんが口にする、お客様の名前を毎週聞くたびに、あったことはないけど、知ってる名前。なんか友達みたいな感じだな、と思っていました。

 

そして、たくさんの歌人達。辛口のツッコミや、「芸人はね」「歌人はね」と、放送の中で本音を語る日高晤郎さん。

そういう生の人間として知った歌人の歌は、不思議と、どれを聞いても、素晴らしいんです。

日高晤郎ショーを聴かなければ、もしかしたら手に取らなかっただろうCDも、日高晤郎ショーのおかげで、買いました。

こんな素晴らしい歌謡曲、演歌はほかにあるだろうかと思うくらい、贅沢な気持ちでした。

 

一度も番組に手紙を出せなかったことが悔やまれます。

が、勝新太郎さん、市川雷蔵さんを語った日高晤郎さんがおっしゃっていたように、「俺を思い続けろ。どんなに離れていても、思い続けていれば、心の中にいつまでも生き続けるんだ。近くにいるんだ。」という言葉、日高晤郎さんを思い続けていれば、ずっと、心の中で生き続けるんだと、私は思います。

 

数年前から、私の親しい人が、相次いでなくなりました。1月にも私がお世話になっていた知り合いが突然亡くなり、私が第一発見者として警察を呼ぶ事件もありました。

そして今でも、悪性腫瘍で通院してる知り合いが何人かいます。

その最中の出来事だったので、ショックで何と言っていいか、しばらく言葉がありませんでした。

 

3月24日の放送の最後で、「お腹の水を抜く」という言葉を聞いた瞬間、何となく想像はできました。覚悟もしました。

が、それがあっけなくやってくるとは、誰が想像したでしょうか。

 

正しいことは正しいが、間違っていることは違うと、スタッフやゲスト、お客さんや手紙を出してくれた人、どんな人にも放送中でもきっぱり言い切る日高晤郎さんが好きでした。

他の人から見て「それは違うよ」と言われることでも「これは俺の意見なのだから」とおっしゃっていた日高晤郎さんが好きでした。

日高晤郎さんの発言によって放送局にくるクレームに対しても絶対に謝らないということを電話対応のお姉さんたちに言ったのが、確か当時のプロデューサーだったではないでしょうか。「本人の考えなのだから、それを電話口で謝って、否定してしまうのは違う」

そういう暖かいスタッフに囲まれていた、日高晤郎さんが好きでした。

 

過去の録音を聴いて懐かしむかどうかは、わかりません。

とにかくまだ冷静になれないので、「そういえば」と思うまで、聴き直さないと思います。

 

毎日9時間の放送が楽しくて仕方がないとおっしゃっておりました。

体を壊しても、好きなものにひたすら没頭するというのが、そういうことなんだろうと思います。

命を削って仕事をする、マイクの前で俺は死ぬんだ、

 

最後の最後まで、自分の信念を曲げずに旅立ってしまった、日高晤郎さんに、感謝しかありません。

ほんとうにありがとうございました。

そして、お疲れさまでした。