老いの繰り言:同じでない保護活動 | high-task-0312のブログ

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 人の日常社会での行動、活動は利己的で、利害が伴うものがほとんど。そのため、性善説では人の振舞いは説明し切れないことになっています。そんな中で、性善説や利他主義、博愛主義が幅を利かせてきたのが環境保護活動です。それは医療活動と並んで、人の善意がそのまま表れ、どこにも悪意は潜んでいないという建前になっています。

 医療は別の側面も持っています。人間は「病原菌」をこの世界から抹殺することによって、病気を克服しようとしてきました。敵となる細菌は一方的に悪者で、容赦ない攻撃による絶滅が医学研究の目的となってきました。自然環境の一部としての細菌類は人間に害を及ぼす限りは悪の根源として絶滅の対象になってきました。

 一方、人間に益となる動植物となれば、食料としての生物です。こちらは絶滅することとは真逆で、増殖、品種改良を目指す試みが長年至上命令として実行されてきました。雑食で嗜好が多様な人間は食を文化にまで発展させ、食べ物の追求を続けてきました。その食欲は時に生存を凌駕し、倫理観さえ乗り越えてしまう程です。

 では、人間に益にも害にもならないように見える生物について、私たちはどのようにつき合ってきたのでしょうか。無視する姿勢が圧倒的だったと思われるのですが、益や害になる生物に繋がり、関わっている生物はとても多く、人間にとって全くの中立的な生物となると、むしろ極めて少ないことに気がつくことになります。生物の進化を考えれば、どの種も互いにつながっているのですから。

 そこで、具体的にトキとライチョウの場合に目を転じてみましょう。トキの生息域と人間の生活域は重なっていましたから、トキの方が人の生活の中によく登場していました。でも、ライチョウと人間の直接の関わりはほぼ皆無と言っていいでしょう。また、ペンギンのように愛嬌があり、珍しいために動物園の人気者となる訳でもないのがライチョウです。人間とライチョウの関係は極めて疎遠と言えます。野生の個体数は0で、動物園にしかいないものといえば、シロオリックス、ハワイガラス、クロスッポン、シフゾウなどですが、これらの動物は動物園で細々と生存していて、病院でしか生きられない状態にある人に似ているように見えます。それに比べれば、ライチョウはまだ自然に棲息し、個体群の存続が要注意という状態なのです。

 では、人間とは疎遠なライチョウを保護する意義は何なのでしょうか。生きることが善であり、生物種は絶滅すると再現不可能で、生物多様性に反する、という紋切り型の保護主張を横に置いて、ライチョウ自体を考えてみましょう。そうすると、ライチョウを人工飼育までして絶滅から救う意義は何なのか、改めて問い直したくなります。上記のほぼ絶滅種と同じ運命になると予想された日本のトキが実際に絶滅し、中国からのトキの移入、繁殖が行われました。その意義と何が同じで、何が異なるのか、知りたくなります。

 そんなことを思案し出すと、環境、分脈に応じて保護に対する温度に違いがあることにすぐに気がつきます。保護の度合い、保護の質が異なり、人間は環境や分脈に応じて異なる保護を採用してきたことがわかるのです。

<積極的に治療する保護>

 学名 Nipponia nipponで、新潟県の県鳥になっているトキが絶滅したことへの反応は集中治療そのもので、中国からトキを移入し、人工飼育を行い、放鳥するというものでした。これは積極的なトキの復元であり、病気の完治を目指すことに似ています。それでも、日本では2003年に最後の日本産トキ「キン」が死亡したことにより、生き残っているのは中国産の子孫のみとなりました。

<現状を維持する保護>

 ライチョウはトキと違って、人間と共存していた訳ではありません。そのライチョウに対してもトキの場合と同じような積極的な保護政策がとられるのが適切なのでしょうか。医療にも様々な方法があり、積極的な治療ではない、例えばホスピスのような(消極的な)保護も考えられます。環境省としては、人間の医療政策と同様に、自然保護に関してホスピス的な政策を積極的に取れないのでしょうが、絶滅が一方的に悪だと考えることを再考すべき時期でもあるのです。克明な記録の意味も変わり、将来に再生が可能な記録作りができ始めています。このような状況で、私たちの保護活動の範例がどのようなものか再確認してみるべきだと思われます。

<共生しながらの在宅保護>

 「保護する」ことの基本は何なのか、「何のために、誰のために」保護するのか、を考え出すと、どんな生物にも同じ保護が通用するとはとても言えなくなります。それは「どんな患者にも同じ治療が通用する」ことが文字通り正しいから、「異なる患者には異なる治療をする」ことは必要ないと誰も考えないことと同じなのです。ですから、一般的な保護の議論ではない「火打山のライチョウ個体群」の保護が大切になるのです。「火打山のライチョウ」の保護はライチョウ一般の保護と異なるものをもっていて、火打山を自らの自然環境の一つとしている人たちこそが主体的に関わる必要があるのです。

 新潟県の県鳥トキと長野県の県鳥ライチョウは、国、それぞれの県の具体的な保護政策を考える上では格好の例になっていることは確かです。火打山のライチョウに妙高市民はどのような在宅での保護活動を展開するのか見守りたいものです。

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