24時間全裸フル○ンで君は踊っているか…!? | ボクシング&ロック野郎 higege91の夜明けはまだか?

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人生の曲がり角に遭遇したボクシング&ロック・マニアhigege91。暇を見つけてはホール通い。ああ、俺は戦っているか!? ああ、俺は俺の求める『俺』に近づいているのか!?

昨晩はある某漫画家と沖縄料理を食べながら、そして、うまい泡盛を流し込みながら、「表現する」ということについて語らいました…


某漫画家「…表現することとは恥をかくことを辞さないこと、つまり、わたしは年中無休で『全裸のフル○ン』ですよ…」


…と、酒の席なので、こんな表現も飛び出した。


某漫画家「…ようするにこういうことなんです、批判を浴びれば浴びただけ自分は新しくなってゆくわけです、厳しい視線と厳しい意見に自分は磨かれているというわけです」


なるほど、それは確かに一理ある…


プロとアマチュアの差…というもの、その圧倒的な違いであるが、それはこうした「心構え」が大きいのは確かでしょうね…


その種目は別にして、誰かがある何かに興味を抱き、そのアマチュア道を進むとして、さらに、その何かを「職業」にしたければ全てを犠牲にする覚悟で、全ての批判を受け入れる覚悟で、その何かに取り組むことが出来るか…? と、いう話である。


例えば、歌手になりたい、と願う誰かがいるとして、さて、その誰かはどれくらい本気で歌手になりたいと思っているのか…ではなくて、どれくらい考えて、どれくらい歌手になるための勉強・努力を『実行』しているのか…?ということである。


そして、才能とは、その何かと永遠に向き合える愚直さ…というわけであります。


好きなことならば何時間でもそれと向き合っていられる…とはこれ、例え「アマチュア」の誰それでも知っているある種の喜びでもあるわけですが、しかし、「プロ」となれば、好きなだけではダメであります…


つまり、「自分流の手法」あるいは「自分だけの表現方法」というものを突き詰める必要があるわけですが、それと徹底的に向き合うことの「厳しさ」はある意味、まだ、その時点では「喜び」でもある…


が、そのよう自己探求の果てに、自分の全てを注ぎ込み、編み出したものでありますが、これをあらゆる他人に「晒せるか否か」…と考えた時、さて、いかがであろうか…?


自分で認めた、自分の核心、自分の本質を「表現」した作品・手法を、赤の他人に激しく批判されたり、踏みにじられてもそれを受け止めなければならないのが「プロ」…なのである。


そして、そのような批判さえ狡猾なほどに「利用」し、それを肥やしに更なる自分を磨き上げるべきなのである…


某漫画家「…私は先ず漫画を描いたら嫁さんに読ませて、ここで多くの手厳しい批判を受けるんですが、時には歯軋りもするわけだけど、でも、どんな厳しい意見であろうと、嫁さんのような「見方」も存在するのは事実だから、それを認めないわけにはいかない…で、その嫁さんの意見を反映して手直ししたものを今度は私がもっとも信頼を寄せているある女性に読ませます…で、また嫁さんの時と同じように批判を受け、それを自分なりに消化して、で、必要であればさらに手直しします…」


僕「…はい」


某漫画家「…そして、そのような行程を経て、ついに初めて赤の他人の目に触れさせるわけですが、この時点で二人の真剣な読者によって私の作品はすでにある程度磨き上げられているので、もうなんの心配もないし、その先にどのような意見や批判が集まろうとも胸を張ってそれを認められるってわけなんだ、私の場合は…」


僕「…しかし、でも赤の他人の厳しい批判があったとして、で、それに対して、結果的に『迎合』しただけ…ってことになる恐怖ってのはないんですか?」


某漫画家「…これは非常に忍耐力も必要なわけだけれど、基本的にあらゆる意見を私は認めます… しかし、どうしても譲れないモノがあれば、それは死守すべきであるし、当然の話… つまり、何が言いたいのかっていうと、出来るだけ自分という存在の「門戸」を開くべきだということ… これは大変に辛いことであるけれども、でも、それだけ自分がより「新しい角度」を得られる可能性が広がるということなんだと思うんだ…」


僕「…でも、例えば、ゴッホみたいな画家が誰かの意見に対して僅かでも『迎合』なんかしたらあの極限状態の芸術性はもしかしたらつまらないものになっちゃうんじゃないか…? って思っちゃうけれど、自分を守ったからこそ到達できる境地…っていうのも存在しているわけですよね?」


某漫画家「…つまり、そういうことだ、でも、人間はその「核心部分」「その本質の中枢」においては、神様に口を挟まれようが曲げることはできない存在なんだ… そう、人間とはかくも「頑な」な存在なんだ… だから、究極的な意味では『迎合』は出来ないし、それは表層的な意味合いでの『迎合』であるかもしれない… もしかしたら、便宜上『嘘』をついているってことになるのかもしれないけれど、でも、自分の表現から波及した『あらゆる声』を私は耳を傾けたいし、それを受け入れなければならない…と考えているんだ」


…さて、昨晩はこんな話を延々としていたわけですが、ちょーっと酔っ払ってしまったからちゃんとその興味深い話を僕が理解できているかどうかわからないけれども、その話の結びはこういうことであった。


某漫画家「higege君、君はまだまだ『アマチュア』ってことさ、もーっと批判を浴び、もーっと晒される生き方を選ぶべきだし、それを追求しなくてその人生に何の意味があるというのだ、君もフル○ンになれ、24時間年中無休で全裸で踊るべきじゃないのか…!?」


僕「…24時間年中無休で全裸フル○ンで踊り続ける生き方、ですか!?」


さて、回りくどい話になってしまいましたが、つまり、好きなことがあるならば死ぬほど『本気』で取り組み、さらに、『表現』したいことがあるのであれば、恥も外聞も捨てて発信すべき…ということであります。


しかし、「会話」っていうのは本当に大切ですね… 


何でも話せる仲間を持ち、そして、「生き方」や「志」を高められる存在がいかに貴重か…ってことを痛感した次第であります…


某漫画家さん、本当に興味深いお話、ありがとうございました…


あぁ、それはそれとして、しかし、あの「ラフティ」、本当に旨かったなぁ…


御愛読感謝


つづく