生きることは難しい。
最近、実感するのだ。

不幸は買ってでもしろ。
涙の数だけ強くなれる。
幸せの総量は同じ。

その手の言葉は巷に吐いて捨てるほどある。
それは本当なのだろうか。
高校の頃から、考え続けたことだ。

それに対して、村上龍が「愛と幻想のファシズム」のなかで一つの答えを見せてくれた。
その主人公が言うには
「単純な消費」というものは存在する。
不幸だとかなんだとかはまったく力にならない。
そういう状況に慣れることなど無く、むしろそういう状況に出くわした時の為に
力を蓄えておくべきだと。

それが正しいとは思わないけれど、
あながち間違ってもいないように思う。

虐待を受けたものは虐待を犯す。
貧乏が故に汚いこともする。
不幸せだから人を妬む。
これもよく聞く話だ。

僕が人より不幸なんだなんて言うつもりはないけれど
それなりに不幸なことにも出くわしてきた。
そこで僕は何かを得たのだろうか。
ある種の卑屈さと単純な疲労感だけなのかもしれない。

あるいはまだまだ不幸が足りないのかもしれない。
それが大成するだけの栄養を人生は欲しがっているのかもしれない

いつか年を取って、
「若いうちに苦労しておけ」とはっきりと言えるようになりたい。
幸せになったら言えるのだ。