お金とは何か

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哲学カフェのことを、
もうちょっとこのブログでも書いているかと思ったが、
ブログ内検索では、古い記事ばかりだった。

備忘録的に、今日(7月8日)の内容を書いておく。

今回のテーマは「お金とは何か」というものだ。
まずは、出てきた意見を羅列しておく。

 

・価値の保存・価値の交換・価値の尺度、としての道具

 

・物々交換の代わり

 

・一種の(金融)商品

 

・借用書みたいなもの(兌換紙幣を念頭に置いて)

 

・もともと、地域や一族に対する貢献を「記帳」したもの

 

・前回「幸福とは何か」同様に、「流通」(logistic)そのものなのではないか

 

・信用(credit)が形となったもの

・貯めることで、安心、自己肯定感につながるもの

みな、合っているような気がする。
そして、どれも何かそれだけでは足りない気がする。

お金は、近代まで、哲学の中では扱われてこなかったそうである。
おそらく最初に取り組んだのがマルクスの資本論で、あとはジンメルぐらいだという。

  ◇

通貨発行権は「中央銀行」が持つというが、それは「政府」と、どう違うのか?
日銀は国債の発行に対応して、マネタリーベースを増やさざるを得ない。
政策に応じて市中の通貨量が変わるのだから、政府が発行しているのと同じだ。

現代のマネーは、その形、実態が見えない。
減価していくEマネーという話や、
値動きの荒っぽい仮想通貨についても話が及んだが、
これらはまだまだ「金融商品」の段階で、真の通貨とは言い難い状況だという。

 

中国での、電子マネー(仮装通貨ではない)技術の浸透や、
仮装通貨を支えるブロックチェーンの技術などもあって、
一般の人々にも、「お金」に対する印象は変わってきている。

通貨は、アトム(物質)からビット(情報)へと大きく比重を変えている、
また、ますますその方向に変わっていくのではないか、というのが
野末さんの結論であった。

  ◇

参加者は、みな知的で、
お金の面でもさほど困っていない人が多かったのだろうと思う。
多くは今の金融政策にも好意的であった。

私的には、カネのないことに悩まされてばかりだ。
社会とはマネーゲームの別名だろうか、と思うことが多い。
暴力的に世界を支配しかねない金融資本の一方で、
格差は広がり、持たぬ者の絶望は救いようがない。
 

お金の、便利さと危うさと、両方がせめぎあう世界に、
たぶん我々は、すでに入っているのだ。



 

(何か「お金」にまつわる写真がないか捜してみたが、それらしいものがなく、つくづく自分は、お金には縁のない暮らしぶりと性格なのだと思った。下の写真は、別のテーマだった4月の哲学カフェの、休憩中の様子)