防災と安全保障

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55回目となったアプリコットでの「おしゃべり会」
昨日のテーマは「被災地支援6年半を経て」ということで、

金沢の奥村彰敏さんのお話だった。


 

 

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東日本大震災の支援については、

主に「地球のステージ」を通じて、自分でもさまざまできることを考えてきたつもりだし、

富山県では「東北エイド」を引っぱってきた川渕さんのお話も聞いている。
自分では「わかったつもり」になっていた。

奥村さんは、防災コーディネーターとして、
それ以前からも被災地支援ボランティアにかかわってきた人であり、
そして、それ以降も(最近では熊本の地震や九州北部豪雨)、各地の災害支援復旧に取り組んできた人である。

客観的・長期的な、「同じ間違いを繰り返さない」発想は大いに参考になった。
現場の実情に寄り添えない行政の問題点も良く見ていらっしゃる。(^^;;


当日の本題とは無関係に、映画「ごはん」の上映会の宣伝をした私に、
「農業に若い人が参加すること、地域に食糧生産能力があること、そして地域で問題意識を持つ人が、話す場やイベントを発信することなど、すべて防災上も大切なこと」

と言ってくださったのも、うれしかった。

 

普段から、

地域の、お年寄り、障害者、子どもや女性などのいわゆる「弱者」を、
理解し、また足手まといではなく「戦力」として活かすこと
それこそが「地域おこし」であるとともに、

最も強靭な「防災・減災」なのだと、意を強くした。

 

「国土強靭化」などといって、
やたら堤防や道路など土木工事にカネをかける主張もあるが、
地域の主人公である住民が、それで疲弊してしまっては本末転倒だ。

 

東日本大震災の直後、
中国・台湾・アメリカからの救助隊が活躍したのも、あまりマスコミに乗らない話で、
それは四川の大地震で日本が支援に入ったからだという話もあって、

地域や住民レベルでは、人間どうしの助け合いはあたりまえ、
まさに相互扶助こそがグローバルスタンダード、
歴史観や領土などの国際問題など、小さなことなのだとわかる。

 

国政、特に憲法9条をめぐる議論で、

「安全保障」という言葉が使われる。

だが、実際に国や生活の「安全」を妨げるのは、

他国からの攻撃やテロなど人為的な暴力よりも

事故や災害の方であろうと思っている。

そして、空腹は、怒りの元である。
汚染や気象災害などが、
広域での飢饉や経済破綻につながり、
自らの生活がまかなえないかもという不安がひろまる時、

人々の憎しみを、商売にしよう、とする者たちが、活躍を始める。

 

安全保障を言うなら、
武力的に過激な国をこそ、
食料とエネルギー、経済、
そして災害支援などで「懐柔」することが、
先の大戦で命を落とした英霊に応える道ではないかと、

(ここはわざと、右翼の皆さんが使うような言葉を使っている)

シンプルに、私は思うのである。
 

だから私は、

今憲法を変えたり、

「いつでも相手になってやる」と吠えることは、

まったくもって、「安全保障」とは逆行することなのではないかと、
繰り返し主張するのである。

 

 

 

 

 

 

 

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