日本政策学校でともに学ぶ、小林さんのご紹介がとても良かったので、
  
   『日本の食と農ー危機の本質』  神門善久(著)

の内容を、転載させていただこうと思います。

小林さんによると、

この本は、一貫して『食と農の問題の本質は、市民(農民および消費者)の怠慢と無責任である』という筆者の基本的認識に基づいて書かれており、今日の日本社会は、この耳の痛い事実に向き合わず、議論をすり替えているのだと問題提起しています。

とのこと。

以下 印象的だった部分の抜粋&一部要約となりますのでご参考になさってください。
(分厚い本で、300ページ近くあるので^^;。。。ほんの一部です。)


ということで、以下のように書いていらっしゃいます。
(読みやすいように一部改変しました。文字色も私がつけたものです)

★日本における戦後民主主義について
人々は、自ら政策のあり方を考え、政治や行政に積極的に参加することがなく、政治家や官僚にお願いをし、恩恵的利益配分を要求する存在になっており、自分の要求さえ通ればあとは、受動的な消費者として、政策の恩恵に浴するだけという『お任せ民主主義』に陥っている。
つまり、官僚や自民党も、それらを批判する側にも、個人の利益を超えた社会の便益という発想が欠落していたといえ、市民参加の欠如こそが、日本社会の根本的問題である。

★食の安心と安全の問題について
流通段階でのさまざまなムダは、消費者が家庭での貯蔵や調理を上手にすれば避けられる。
自ら包丁を握り、食材を無駄なく大切に扱えば、出費の削減はもちろん、健康に感謝し、食を大切にする気持ちが自然と高まる。
流通段階を飛ばして生産のみを取り上げるのは、実は消費者が庭内ですべき努力の回避を無意識に促すものとし、筆者は、ここで、社会保険料に食生活を連動させることを提唱する。

★JA(農協)について
JAの機能をあえて大胆に要約すれば、崩壊しつつある伝統的農村集落構造を保護し、地方随一の票田の維持に努めるものといえる。
JAが高度経済成長において重要な貢献をしたといえるのは、
 1、キャッチアップ政策を設計するうえで、自民党政権に政策的フリーハンドを与えたこと。
 2、所得再配分政策としての正当性
である。しかし、高度経済成長が終了し、農家・非農家の所得格差がなくなった1970年代初頭以降は、JAの正当性は消失したと考えてよく、JAは、非農家を含めて、農業に限らず、農村生活にかかわる広範なサービスを提供することにより、組織の維持・拡大を図った。

★農業と政治家について
農村においては、農業用水をめぐって日常的な農家間の相互監視が行われ、住居や行動様式にも変化が少なく、農地政策、農産物流通政策などで政府介入が多いため、利権をもたらしやすい。
そのため農家は投票によって政治家を支え、政治家は利益誘導によって農家を支えるという相互依存関係が生じている。

★JA(農協)はどうあるべきか
中小生産者の相互扶助という共同組合の存在意義から問い正す必要がある。
日本農業の活性化のためには、個別の農業経営の活性化だけではなく生産者組織の多様化・活性化が不可欠。
JA、独立系農協、先進農家の三者が互いにフェアなライバルとなり、さかんに切磋琢磨する状況こそが望ましい。
理想的なのは、現在JAの組織内にある農家から自発的にJAの縮小、整理と独立系農協の設立が始まること。

★日本農業最大の問題点
転用期待が元凶となって、農業に長けたものに農地が集積するという市場経済の競争メカニズムが機能していないこと。
農地利用規制を厳格化・透明化し、市場経済の競争メカニズムを回復させることこそが、農業活性化をもたらす。
農地転用規制があいまいに運用されてしまう背景には、農地行政の組織上の問題がある。
農水省の本音は、零細農家ー政治家ー農水省という既存の政治力学の擁護にある。農水省の予算で農地の改良投資を行い優良農地にし、その後転用して農家の懐をあたためること。
農水省の農地改良投資によって、農業生産性が上がる以上に転用価値が上がることは農家の常識である。
日本農業の最大の生産物は「農地」である。農地問題こそが農業改革の焦点である。

★農地政策の理想
市民が「お任せ民主主義」から決別し、参加民主主義のもとで相互に徹底的に討論しながら土地利用計画を策定すること。
市民自身が計画の実施運用の責務を担うことが大切。転用権の入札制度を提唱する。
農地課税のありかたを変えることも提唱する。

★世界視野から日本農業をみて
日本が東アジア型といえる農地政策のモデルを創ることは東アジア所得への大きな貢献となる。
農業生産は言葉の壁が比較的低く、食べ物や土地利用を通じて多様な文化交流を深めることができる。
これまで日本社会が同質性が高かったのはある意味では幸運だったしかしこれからは、異質性を進んで受け入れるべきである。
そして、現世代の日本人だけの利益を追求せず、世界やアジアの隣人たちを含めた将来世代に幸福をもたらす選択をすべきである。
そう考えるとき食と農を通じてわれわれができることの大きさに気づくはずだ。
市民の、責任分担を担う行政参加が必要なのは、決して食と農の問題だけではないが、食と農はその身近さゆえに、最適なきっかけを提供する。