今年も後数時間で終わる。今年もいつものように「せせこましい」一年であった。まぁ、自分の性格が「せせこましい」ので毎年、「せせこましく」なるのだが・・・・・年の瀬ということで、特筆すべき感慨は無い。

 「この一年も生きていた。というか、生きて来れた」という冷静で客観的な感情のみである。

 しかしながら、この一年、自分を支えて頂き、お世話になった方々にこの場を借りて、心から御礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。


 年末、小野(水道橋博士)から一冊の本『芸人春秋』(著書表題の「芸」は本来旧漢字なのだが、変換で出ないので、当用漢字の「芸」とした)が贈られて来た。

 特段、読むつもりはなかった(因みに、この数年、散文や小説の類は一切読んだことが無い。新聞雑誌の類や関係資料、専門書等しか読まない。理由は、時間が無いからだ)。

 が、ある番組(お台場政経塾)で千原ジュニア氏に「東さん、博士の『芸人春秋』を読みましたか? 東さんの部分に感動しました」と言われ、また、年末にとある番組(平成教育委員会)で、小野に会ったときに、「『芸人春秋』読んで頂けましたか?」と聞かれたので、仕方なく読んだ(笑)。

 一言でいうと、彼独特の視点と人生観と哲学が垣間見え、面白かった。他者の考え方を知ることは大抵、面白い。政治の世界にいると、特に、様々な考え方や価値観を持つ人に出会う。それはそれで面倒くさいこともあるが、大方、興味深い。

 

 『芸人春秋』の中で、僕に関する記述は、2001年に書かれた文章だった。

 文中で小野が「ボクには、東さんが俯瞰の位置から自分の内包するドラマを冷徹に眺め文章に綴る人だとは、長年、思えなかったので意外でもあった」と書いている。

 小野に言っておく。「俺ほど、自分の中の狂気と冷静・常識、異常と正常を使い分け、その振り子を客観的に観察・傍観し、かつそれらを楽しんでいる人間はいないと思うぞ(それこそがタケシイズム)。ただ、最近、その振り子に疲れて来たきらいはあるが(笑)。平凡や平板や普通も疲れるが、小野の言う「物語を強要され、佇まいを覗かれる」或いは「ドラマを内包しながら、野望を秘めて度を超えたドラマを実生活に作り上げる」のも疲れるものだ(笑)」

 もう一つ、「東さんは、『ビートたけし殺人事件』を書く事で象徴的な父である師匠を殺す事ができていた」「エディプスコンプレックス」・・・・これは、俺が吐露したっけ? もし、小野が独自でそう考えたのなら、「当たり」である。


 自分の姿を、ある人物を通して、客観的に述べられると新たなチャンネルが自らの中に創設され、かなり有意義であることは確かである。それは経験則でそう言える。

 いずれにしろ、小野の文章は、僕に心地よい「刺激」を与えてくれた。それは、20数年前から僕が宣言している「『小説たけし学校』を人生の終末期に書き記したい。それを書くために僕は人生を生きているといっても過言ではない。振り子の原理で・・・・」を実現・実践しようというモチベーションを上げるための「刺激」である。小野に礼を言う。