「東国原知事は宮崎をどう変えたか――マニフェスト型行政の挑戦」宮崎公立大教授・有馬晋作著(ミネルヴァ書房) という本が出版されたらしい。

 僕は関わっていない。地方自治の専門家である有馬教授が独自に東国原県政を分析されたのだそうだ。

 

 記録より、記憶に残る県知事になりたいと思う。

 

 県政の分析において、目に見える制度設計や政策等の分析は比較的容易いと思うが、僕の深層的な心理や精神と行政との連動の分析はし辛いかも知れない。

 それは僕が出来るだけ前例を踏襲しないやり方を意識してやっているからだ。前例は踏襲するものではない。作るものだと思っている。勿論、行政の連続性や歴史・伝統を知り、温故知新も重要であることは言うまでもない。

 宮崎のケースは、元お笑いタレントが保守地盤の地方自治体の長になるという希有なケースであるのと同時に、マニフェストの在り方からその進め方まで、出来るだけ独自性・個性を出せるように、つまり他に例の無い事例にすることを意識している。

 元タレントが地方自治体の長となる前例は幾つか散見されるが、それらの各自治体の首長の自治体運営の方法も一切参考にしていない。


 テレポリティクスは当然意識しながら、単なるテレポリティクスではない政治行政の姿を模索している。職員や議会との距離も自分独自の距離感を構築する方向を模索している。

 「これまでの県政・行政の在り方はこうであった」とか「こうであるべきだ」とか・・・・・そもそも論やあるべき論を一度否定してみて、そこから新しい方向性・可能性を考える。よって、当然であるが、誤解されたり、顰蹙をかったりする場合が多々ある(笑)。個人としては、そういう軋轢や摩擦を余り恐れてはいない。


 「じっくり腰を据えて県政や政策に取り組み・・・・」と、たまに言われる。行政運営には重量感や安定感が必要なのは分かる。しかし、「じっくり腰を据えて・・・」というのは、僕に言わせればこれまでの価値観である。

 僕にとって、プライオリティが高いのは、機動性、躍動感、独創性、応用性、新たな感性といったものである。それが、僕のスタイルである。

 恐らく、そう説明しても、理解してもらえないかも知れない。そもそも思考軸が異なるのかも知れない。

 協調や融和を軸に、あらゆる「意識」や「歴史」を変え、地味な行政という概念を変える。個性の発揮へのチャレンジ。それが、東国原県政の真骨頂である。自分で言うか?(笑)。


 話はコロッと変わるが、さっき、フィオーレコガで副知事に会った。先日、福岡でのミニトライアスロンに参加したらしく、良く絞られ、鍛えられた身体になっていた。