先月、代ゼミの人気講師、吉野敬介という人が、講義中に態度が悪かった男子生徒の顔を殴り、全治5日のけがをさせていたことが、10日、分かったらしい。吉野氏が殴った生徒は、前週の授業でも私語をして、他の受講生から「うるさくて迷惑」と相談されていた、言わば札付きの生徒だったらしい。殴った当日も、満員の教室で再び私語をし、周囲に迷惑をかけていたので、吉野講師は「私語をするな!」と注意したが、生徒に反省する様子がみられなかったため、歩み寄り顔をはたくような感じで2回殴ったという。
 氏は、元暴走族の特攻隊長をやっていた異色の講師らしい。氏は、兼ねてから「授業中は、寝るな、しゃべるな、一生懸命やっているヤツを邪魔するな」と宣言し、「約束を破ったヤツは殴る! それが嫌なら、受けるな!」と公言しているという。それでも、教え方が上手く、授業はいつも満席の超人気講師らしい。
 当然、この事を充分理解し覚悟し、肝に命じて生徒達は受講しているはずである。にも拘らずその生徒は私語をした。しかも、再三の注意も聞かず、私語を止めなかった。
 確かに、暴力は悪い。どんな理由があろうとも暴力によって問題を解決するというビヘイビアーには否定の態度を禁じえない。しかし、このケースはどうだろう? 氏は、現代社会において、この日本が失いかけている何か大切なもの・・・・・・義とか礼とか、忠、信、智、心・・・・・・謙譲とか謙虚とか奥ゆかしさとか品とか愛情とか・・・・・・そういった日本古来の独特の、日本特有の文化・・・・・僕の単なるノスタルジアだろうか? 浅薄なアルカイックだろうか? 殴られた生徒の親が訴えたのだそうだ。信じられない。氏のやり方を充分承知して、授業に送り込んだのなら、分かりそうなもんだ。彼の鉄拳制裁がどういう意味だったのか・・・・・・・当然、愛情の裏返しだったということは言うまでもない。 また、あまり怪我の無いようにと意識的に抑えて殴っただろう・・・・・・・しかし、全治5日間という診断が出たということは、医者に行ってるのだ。訴える為に。全治5日というのは、唇がちょっと切れたくらいである。この親は、何故殴られたのか、充分な調査や事情聴取をしたのか・・・・・・・再三言及するが、暴力を肯定している訳では、決して無い。一昔前の、僕らが受けた教育と相対させている訳でもない。
 氏は、被害者と両親に謝罪し、学校側から、厳重注意と減給処分を受けた。そして、神奈川県警は近く傷害容疑で氏を書類送検する方針らしい。通常、これくらいのトラブルだと、警察は示談・和解を勧める。しかし、どちらかが納得しない場合、つまり和解が成立しない場合、刑事告訴となる。そして、民事で損害賠償などとなる。氏は、恐らく、起訴猶予になるか、起訴されて略式裁判により、数万円の罰金刑に処せられるだろう。これで、彼はもう2度と暴力は振るえない。今度、振るったら実刑の可能性もある。問題はその事を知った生徒達の反応である。勿論、大方の生徒は理性的で聡明なのだろうが、そうでない生徒もいる。自分が悪いのに、それを咎められて逆切れするような愚鈍で無能な輩もいる。その御方達が、そのこと(氏が殴れないこと)を逆利用し、授業の秩序を乱す可能性は大なのである。もっと問題なのはそれら(秩序を乱すヤツら)をも守る法律の力によって、氏の授業の特質や特性が失われてしまう懸念にある。
 暴力を正当化している訳ではない。暴力を振るったという事実とそのペナルティのみを取り上げ、論い、どうしてそうせざるを得なかったかについて斟酌しない社会体質。社会空気、風潮。暴力は何も解決しないという頭ごなしの理念だけで、問題の本質的解決を考慮しない無思考。暴力を受けたら即、告訴! その理由や原因については何の反省も、何の理解の努力も見えないその無理解と無知。それらの根源的な倫理意志の前で、僕は今、無力に立ち竦んでいるだけである・・・・・・・・・・どこか知らない所で、何か巨大な力が働いて、この国は、この社会は、どこかおかしくなっているような気がする。