デュルケムのアノミーについて、あれこれ考えを巡らせていたら、「夢の喪失」というキーワードにぶつかった。今のこの国のアノミーは、個々人の「夢の喪失」に原因があるのではないだろうか? 「夢」の実現性の限界。   そして、「夢」自体を思い描けない、偽りの豊かさを持った社会。  あなたは、子供の頃の夢が実現していますか? そんな問いがふと脳裏を過る・・・・・・・・そう言えば、クンちゃんの『スタート』と言うミュージカルは、このことがテーマだった。 「夢」・・・・「夢か・・・」少し声に出して、そう言ってみる。 持ってないと、退屈だし、時間ありあまっちゃうから、僕は常に持っている。僕の場合、それは、目標だったり、目的だったりする。 「現実にならない夢は夢とは呼ばない」を一応信条としてきた。   今日、子供と久々に野球をやった。彼は、夏休みに入ってから毎日、腕立てや腹筋を100回ずつやっている。そのせいか、打球が鋭く、投球のスピードも一段と増してきた。   ちょっと心臓に難があるので気がかりだが、ちゃんと育てれば、そこそこの選手になるのではないだろうか? と親の贔屓目でそう思う。野球が心底好きそうだし、ドームや甲子園の舞台に立って見たいというモチベーションもある。 そこで、彼に聞いてみた。「守の将来の夢は何?」「・・・・・・・・」突然の僕の質問に、一瞬キョトンとしている。「将来、何になりたいの?」 次ぎの瞬間、彼の口を衝いて出た答えに唖然とした。「僕、スネークハンターになりたいんだ」 「な、なんじゃそりゃ? ス、スネークハンター?」「うん」「う、うんって、君。野球選手じゃないの? 大体、そのスネークハンターって一体何?」「ヘビを捕まえる人のことだよ」「分かるけど・・・また一体、どうして、ヘビを捕まえたいの?」「可愛いから・・・・・・」「か、可愛い?」「うん」 返す言葉が無かった。 人にはそれぞれ「夢」がある。それは、実に様々であろう。 10人いれば、10人分の夢がある。 そして、それぞれの「夢」には優劣や上下はつけられない。  ふと、思う。 僕は、小学校の頃の「夢」、今、叶えられているだろうか?と・・・・・・ していると言えば、しているような・・・・・・・してないと言えば、してないような・・・・・・・・・・でも、していると言えば、しているような・・・・・・・何だか、判然としない・・・・・・・台風の影響で、突然横殴りの小雨が降り出した。グローブが、小さい雨粒で段々色濃くなって行く。 「夢か・・・・・・・」 僕は、もう一度、彼を見た。身体には不似合いな程大きい、掛布さんから貰ったグローブをパンパンと打ち、彼は僕に言った。「雨だけど・・・・・どうする? 僕は、続けてもいいけど・・・・・・」 僕は、手の中にあったC球を彼のグローブめがけて放った。彼は、そのボールを華麗なステップで受け、少しはにかんだ。 雨で煙った彼の白い歯を見て、僕は、彼の夢がいつか実現するといいな、と思った。