宮崎から四日市に移動した。宮崎空港で、セントレア行き最終便の飛行機に乗るとき、入り口にいたメカニック(男性)に「東さん、いつも日記を読ませてもらってます」と声を掛けられた。
 様々な人々が様々な立場で、この日記を読んでいるのだ。有り難いことである。
 
 セントレア空港から四日市まで夜のフェリーに乗った。モーダルシフト。夜観る船上からの風景は真っ暗。遠くに四日市や名古屋の光が仄かに見え、とても神秘的であった。
 
 四日市には、マニフェストに関するシンポジウムにゲストとして呼ばれたのだ。
 シンポジウムは二部構成。一部で僕の講演。講演といっても単なる雑談であるが(笑)。二部で、井上四日市市長、四日市大学の竹下教授、佐野JC理事長、そして僕の4人でパネルディスカッション。竹下教授は、あの北川元三重県知事のシンクタンクだった御仁である。
 四日市は、2003年1月に元三重県知事の北川氏が、マニフェストのシンポジウムを全国に先駆けて開いたところである。言わば、日本におけるマニフェストの発祥の地と言える。
 
 あのシンポジウム以降、ローカルマニフェストを導入され、選挙戦に臨まれた方は、増田岩手県知事や松沢神奈川県知事を始め、各地方、枚挙にいとまがない。
 ローカルマニフェストだけではなく、あれ以降、その内容と質は別にして、自民党や民主党もパーティマニフェストを採用するようになった。
 
 そして現在、パラダイムシフト、しつつある。ん? 本当に?
 マニフェストはあくまで市民・住民視点である。より一層の市民の政治参加・参画を促すマニフェストは今後も敷衍し続けるであろう。
 
 マニフェストの発祥はイギリス。イギリスでは100数十年前から、今程のレベルのものではないが、マニフェストなるものはあった。
 その後、最近になって、サッチャー氏や現英国首相のブレアー氏のマニフェストが世界的に有名になった。特に、1997年のブレアー労働党のマニフェストは、一応現在の教科書とされているものである。
 あのマニフェストによって、労働党は、それまで18年続いた保守党政権にピリオドを打った。
 別に学校の授業じゃないんだから、こんなことはいいか(笑)。
 
 東京に久々に帰って来て、この巨大都市が内包しているエネルギーとダイナミズムに、今更ながらビックリし、感動すら覚えた。でも、都会の人々は皆無口で笑っていなかった。
 
「東京って凄いな~」と思わず林立するビル群を見上げてしまった僕だが、決してそれが羨ましいとは思わなかった。
 そう思えた僕は、僕の内面は、パラダイムシフトしつつあるのかも知れない。