戦争の世紀と言われた20世紀、それは我が国にとって、「沖縄の世紀」であったと言える。 そもそも沖縄の歴史は、侵略そして従属の歴史である。 古来、平和主義で温厚な琉球民族が、忌まわしい戦争に巻き込まれ、数々の屈辱に辛酸を舐めてきたのは誠に皮肉なことである。 古琉球時、大交易時代は、中国(明など)と冊封・朝貢関係にあり、近世琉球時代に入り、島津の侵略を受け、一方的に支配された。その後、廃藩置県では鹿児島県の管轄下に置かれ、琉球防波堤論が提示され、沖縄は「日本国属民」として認識されていた。 近代になって、日本本土における沖縄人の差別は、朝鮮人やアイヌと同様、顕著であった。具体的には、方言の廃止や、風俗文化の否定。くしゃみまで内地のように、などという強制的励行は、沖縄人、特に日琉同祖論者達にとってそうとうな屈辱であったに違いない。 日清戦争の時など、清国の勝利を願う人々が少なくなかったという。それは、まさしく日本政府の沖縄の扱いと、内地の個々人の偏見が如何にひどいものであったかの皮肉な証左である。 第2次世界大戦(太平洋戦争)時、沖縄は完全に連合国軍(特にアメリカ軍)からの防波堤にされている。沖縄は、アメリカ軍と闘いながら、同時に日本軍とも戦ったと言える。当時、軍民合わせて20万人を越す人々が死んだ。米国陸軍をして「ありったけの地獄を集めたような戦闘」と表現せしめた、まさに地獄中の地獄が沖縄に展開された。日本国内で行われた唯一の地上戦。本土防衛のための「捨石」とされ、犠牲になり、本土の拷問にあった。とりわけ、日本軍が住民に危害を加えた行為は、曖昧にはできない。 我々は沖縄について考える時、常に、本土からの視点ではなく、沖縄からの視点が必要不可欠である。 沖縄玉砕直前、大田海軍少将が、日本軍宛てに打った電文。「沖縄県民かく戦へり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」 戦後、日本は、この電文の内容を充足して来ただろうか? 終戦時、天皇の言明とGHQの方針により、沖縄は米国の占領下に置かれた。中国とソ連の占領下に置かれると、分裂国家になってしまう懸念もあったのだろうが、余りにも安直で不平等な決断だと言わざるを得ない。 初め、占領期間は25年~50年の約束であった。決して、永続的ではなかったのである。ところが、本土復帰をした今日でも、基地が存在する以上、事実上米国の占領下にあると言える。基地の重圧に晒される県民の姿をサミットに出席した各国首脳達は果たして感じたのだろうか? 世界は、嘉手納基地の周りを手を繋いで取り囲んだ2万7千人の人々をどういう視点で見たのだろうか? 米軍基地の整理・縮小の訴えは本当に全世界に届いたのだろうか? しっかり報道されただろうか? はなはだ、疑問である。 普天間基地の辺野古(キャンプシュワブ)への移転も残念ながら決まってしまった。 「沖縄を変える」 その基盤となるのは基地問題である。そしてそれが沖縄が抱える最大の問題であることは自明のことである。 21世紀、基地の無い沖縄は、平和への強い願いである。全県の20%を占める基地面積、湾岸、コソボや世界各地で戦争が始まると沖縄から出撃する軍用機、その度に、人殺しに加担しているような気がして心が痛いと地元の人々は言う。 日本政府はそのことを真剣に考えているのだろうか? そして内地のジャーナリズムは正確かつ真摯に伝えただろうか? 相変わらず減らない米軍人による暴行や窃盗などの犯罪。信じられないことに、日米地位協定では、判決が出た民事訴訟について、被害者に日本政府が賠償金を支払うということになっている。極端な例、米兵が日本人を殺しても、賠償金は日本政府が税金で支払うのだ。これは、まさにアメリカは沖縄で治外法権を得ているということである。 先のサミットは、沖縄の基地問題を世界に発信するどころか、アメリカが世界に対して、沖縄基地と軍事力を誇示した結果になったとも考えられる。 沖縄を変えるためには、勿論、我々国民が沖縄にもっと関心を持ち、個々人が沖縄の現状を把握することが何より大切なことである。その為には、ジャーナリズムによる正確、詳細、真実の報道が必要不可欠である。 その折、沖縄の視点を忘れず、我々国民が今日存在するのは、沖縄の犠牲の上に成り立っていることを肝に銘ずることである。「沖縄県民かく戦へり、県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」 このことを日本(特に内地)のジャーナリズムはもっと国民に広く伝えるべきである。