7日(土)羽田から新橋まで国道15号を走った。途中、実に多くの方々に声を掛けられた。実に多くの人々に「頑張って~!」「応援しているからね~!」「東京を頼むね~!」まるで僕が選挙に出ているみたいだった。
 
 そんな中、何と、桑マンと偶然遭遇。桑マンは家族と車に乗っていた。
 
 走りながら、東京都知事選最終日の雰囲気を肌で感じた。
空気感で投票率は上がると感じた。石原氏が当選することは鼻から予想していた。問題はどれくらいの勝ち方をするか?だった。
 
 桜金造さんやドクター中松氏のポスターも拝見。やっぱ、東京は面白い。多くの鬼才・奇才の終結地である。
 
 夜、I秘書官と食事会。
 
 8日(昼)お台場から東京駅(八重洲グローバル)まで走った。途中、有明にある2016年東京オリンピック選手村建設予定地を通った。お台場から晴海通り、そこに今の東京が存在した。
 一体、東京はどこに行くのだろう?行きたいのだろう?
 
 東京は、結局、マニフェスト不在選挙だった。「マニフェストの壊死」。東京のある種なその圧倒と後退、「実は保守の素顔」、その真実をあっさり露呈した。そんなことは百も承知だったが。改めて認識させられた。
 ドリームのある都市はいつでもどこでも保守的である。保守的であることが「夢」や可能性を際立たせる。
 それを彼は知っている。
 
 東京に「革命」「改革」の機運はまだまだ起こらない。起こるための決定的でかつ現実的なファクターが薄い。いや、多数の人々が薄いと感じている。いや、気付いてないのだ。もしかすると気付きたくないのかも知れない。気付きたくない人が都会に集中してくるのかも知れない。
 
 「革命」より「夢」や「可能性」が優先される。「夢」と「可能性」を信じるために保守であり続けなければならない街――東京。
 「改革」に気付きたくない都市、東京。
 保守であることによって理想と「夢」を、実際に「夢」が存在することを演出した街。ある意味、それが人々の理想であることが皮肉な現実である。
 
 選挙は、ときに、社会とその社会に暮らす人々とそれらの正体・実体を浮き彫りにする。逆に言えば、それらへの先見が選挙を制する企てと言えよう。
 
 東京は創造(変化)を一旦拒否した。東京の傲慢は復活した。これで暫く、東京は変わらない。日本も変わらない。それが是であるか非であるか?その検証も当面封印された。