日本の学生やアメリカの学生や若者達のベジタリアン推進運動はどんどん進んでおり、その割合はアメリカにおいては40%にも昇っているとも言われています。
その大きな理由は、彼らは共通して『動物を殺したくない』というらしい。
わざわざ嫌がる動物達を食べるために殺す必要があるのか?
そのように子供達は訴えはじめているのです。
日本の大人たちについては、近年では芸能人や著名人のベジタリアン化が明るみになってきた事や増えてきた事もあって、以前には考えられないくらいの議論は出ているようです。
しかしこのほとんどは栄養についての賛否両論議論がされています。
当会においても肉食については何度もお伝えさせて頂いているように、栄養学的にも止めるべきだと強く訴えさせて頂いています。
しかし、この栄養や健康面については学者や専門外の医者などが良質な栄養源だとか、人間は雑食だから健康的に必要だとか色々と机上の空論が飛び交っていますが、やってみればわかることです。
肉食をやめて即死する人はまずいませんし、3年やめても健康被害は絶対に出ません。もちろん嫌々やるならば肉食も一種の中毒ですからストレスを感じてしまう事はあるかも知れませんが、ほとんどの人は健康的な実感をされています。
しかしより深刻な問題は、このように健康に良いか悪いかの議論に終始してしまうことです。
これは言って見れば「自分さえ良ければ良い」という考え方の象徴です。
実践してみれば健康に必要なものかどうかわかるのに、机の上やネット上で自分達の我欲の為に一生懸命議論している。
動物達の生命について、またはその残酷な飼育環境や屠殺には一切目をつぶり、思いやる事も出来ず、その痛みや恐怖、絶望感を想像も出来なくなっている。
当然動物にも人間と同じような感情があり、痛みがある。
殺されるとわかれば恐怖と絶望で身体を震わせ後ずさりをし、涙を流す者たちもいる。この反応が喜んでいるとでも言うのか・・
動物にも親子の情愛はあり、好きな異性と心を通わせ、目をトロンとさせながら束の間の安らぎと愛を共有している。
この時の脳波測定では人間と同じようにシータ波が高まる実験も証明されている。
このような動物に対し、お金の為に残虐非道を繰り返し、また食べる必要もないのにクサイモノに蓋をしておいしいおいしいと食べている。
このような状況は今の社会構造を現していないだろうか?
直接的な暴力や抑圧は無いにしても、自由があるように見せかけられて、支配層や富裕層、または権力層により搾取され、じわじわと僕達は飼い殺されている。
そのような柵の中で自由を得た気になるには、時に人を蹴落とし、騙し、後の事は考えず今儲かればよい、自分さえ儲かればよいと心を置き去りにしてお金の奴隷になっている。
動物の痛みもわからず必要も無いものを食し、人の事もお構いなく自分の事だけ考え無駄な物を手に入れる事に精を出す。
これが人間本来の生き方というのだろうか?
これが進歩的な文明なのだろうか?
絶対に違うとお伝えしたい。
偉大な宗教家であるマハトマ・ガンジーは「動物の扱いをみればその国の偉大さがわかる」と言いました。
これは何も犬や猫の事だけではないでしょう。
この言葉を言い換えれば、動物の扱いを考え直せれば、今のような人間性を失った社会は、本来やさしさや思いやりにあふれた社会に変容する事が出来ると思うのです。
僕達一人一人の精神性や思いがこの社会を創ってるとも言われています。
そうであるならば、人間の原点である食というものが荒れており、それが人間の体と心を創っている。
それを正す事こそこの混沌とした社会を変えていく遠回りのような近道なのではないでしょうか。
その正しい食を考える上でも、肉食を改めることは急務であると思うのです。
幸食研究所
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