【英語】日本語に訳すということ | しがない教師の雑感

しがない教師の雑感

入試というものに、悉く失敗してきた者が、自分と同じ思いをする若人を少しでも減らせたらという思いから教師が綴る奮闘記的な何か。時々、内なる何かの発露のような感じで哲学や宗教学の話題も…

学校の英語の授業で音楽を使うことは頻繁にある。

単純に好きな音楽を流して、英語に無関心な児童・生徒が少しでも興味を持てばということもあるだろうし、扱う文章のテーマに沿った音楽を用いることで、授業の導入として使うこともできる。リスニングの練習として使うのも、ディクテーションの練習として扱うのも良いだろう。今少し専門的にするならば、歌から音節について学ぶことも可能である(歌と音節の関係については機を改めて詳述したい)。

 

最近の英語教育の傾向から反する試みであろうが、翻訳の練習として歌を使うのも良いだろう。シングル曲であれば、文脈がないため大変であるが、歌手や作詞家がどのような思いを込めてその詩を世に送り出すのか、あるは作曲者・編曲者はその詩をどのように解釈しているのか、ということを考えながら適切な翻訳を作っていくというのは英語力とともに情操を豊かにすることもできよう。

劇中歌などであれば、歌っている人物や、そのに至る物語の経緯などを踏まえて訳に反映させるという練習にすれば、単なる言語のトレーニング以上の効果が得られるだろうし、英語そのもののリアリティを感じやすくなるだろう。

 

例をとってみよう。

ディズニー・ピクチャーズの『ジャングル・ブック』に"I Wanna Be Like You"という曲がある。これは人間であるMowgliからオランウータンのKing Louieが火の扱い方を聞き出して人間に近付こうという曲である。

歌って踊ってMowgliを楽しませて火の扱い方を聞き出そうとする場面でこんなやりとりがある。

 

[Louie]

Now here's your part of the deal, cuz

Lay the secret on me of man's red fire

[Mowgli]

But I don't know how to make fire

[Louie]

Now don't try to kid me, mancub

I made a deal with you...

 

このセリフと歌詞を、テストの解答的な日本語で答えてはこの歌の良さが伝わらない。

King Louieはカタギな生業をしているキャラクターではないのだから、それなりの言い回しで訳した方が良いだろうし、逆にMowgliが純粋な子供なのだから、その雰囲気が伝わるような翻訳が良いだろう。

例えば最初の文は「さぁ、おめぇさんの番だぜ、小僧」としても良い。少し古臭いと思えば「次はてめぇだ、ボウズ」くらいにしても良いだろう。口が悪いと思われるだろうが、そういうキャラクターなのだから、そういう方がいい。1967年にこの映画が公開されたことを考えて古臭い言い回しを使っても、馴染みやすい言い回しを使っても、どちらでもいいだろう。

語彙や文法の枠を超えて、文脈を踏まえた訳を考える。そんな風に歌を英語教育に使ってもいいのではないだろうか。

 

だからと言って文法を軽視するわけにはいかない。

それを強く感じたのは今年公開された"Beauty and the Beast"の訳を見た時だ。

劇中歌に"Evermore"という感動的な曲がある。野獣の切ない心中を見事に表現した曲だと思うが、そのサビで次のような部分がある。

 

Wasing in my lonely tower

Waiting by an open door

 

父親を助けるために、自分の元を去っていくBelleを見送りながら歌う場面であるが、たしか、2つ目の文を「彼女がドアを開けるを待とう」という訳にしていた(うろ覚えな記憶なので勘違いであればすみません)。まず「彼女が」という主語がどこから来たのかよくわからない。意味上の主語が置かれていないのだから主語は主節と同じものであるはずだし、そもそもこの"open"は動詞ではなく形容詞である。「ドアを開ける」ではなくて「開いたドア」である。また"by"が無視されているのもいただけない。この"by"は、「〜のそばで」の意味のはずである。"We played baseball by the river."の"by"と同じものである。冗長的な訳にすれば「開いたドアのそばで待ちながら(待ち続ける)」である。つまり「ドアは開けたままにして彼女を待とう」という意思表示である。これは心を閉ざしていた野獣がBelleに心を開いたことを象徴的に語っている部分であり、「彼女がドアを開ける」では文法的にも場面的にもおかしい。

 

ぎこちない日本語でも文法的に正しく訳す。世の大半の高校生までにもとめられる日本語訳の能力はそこまでであるが、それではリアリティがないし、自分で理解できない日本語を「訳しました」と言って提出してくる生徒が後を絶たないもの無理はない。食いつきやすい題材から、普段は扱わないやや「高度」なことを取り入れるきっかけとして、「日本語訳」ではなく「翻訳」の練習をするのは良いと思う。「4技能」はその先にある目標である。