みなさんこんにちは、ヒエラヒーリングルームの伊藤です。
なんだか突然に過去記事が読みたくなって
直感のおもむくままに『日々の学びカテゴリー』を遡って
あ、これを読む必要があったんだ
と思い当った記事がありました。
伊藤の潜在意識にとって必要なのかもしれないし
他にこのメッセージを必要としている人がいるのかもしれないので
とりあえずコピペしてアップしておきます。
*****ここから*****
みなさんこんにちは、ボディートーク認定施術者なセラピスト伊藤ひろみです。
生活していると時たま『言葉』が降りてくることがあります。
ふと頭の中に『言葉』や何かの『答え』が湧いてくるんですよね。
ラジオの電波のようにあっちにもこっちにも言葉は駆け巡っていて
チューニングを合わせた人だけがそれを聞けるわけですが、
内容の深さや事柄の大小の違いはあっても誰にでもそういうことを受信する能力は備わっているものです。
それを『気づき』とか『啓示』とか『導き』などと呼ぶのかもしれませんね。
そうして受け取った言葉を本にしたりブログにしたりして伝えている方も世の中にはたくさんいらっしゃいます。
『人々に伝える』ことを使命として持ってきている人もたくさんいます。
でも伊藤の場合はどうやら降りてきたことを『お伝えする』のは仕事ではないようです。
そんなことを感じた出来事がありましたので書いてみたいと思います。
昨年伊藤は高千穂に行く機会に恵まれました。
神様が最初に降り立った地ということでおのずとワクワクしてはいたのですが
お神楽を観ていた時にたくさんの『言葉』がダーーーーッと降りてきたんです。
古めかしい言い回しの言葉だったので、神楽舞に刺激された脳が過去に読んだ書物の何かをひっぱり出してきたのかとも思いましたが
妙にはっきりしっかり『言葉』が頭の中でぐるぐるとまわっていたので
これは何かしらの教えをいただいたのだろうと理解しました。
でも日ごろから自分はそういうことを世に伝える仕事は請け負っていないと感じていたので、ただただ頭の中を回る言葉を楽しんでいたのですね。
そしてたいてい日にちが立つとその言葉たちは薄れて消えてしまうものなのですが、その時だけは高千穂から帰ってきてから何日経っても消えずにずーっと頭の中に残っていたのです。
そこでこんなにはっきり頭の中にいるってことは、もしかしたらこれは誰かに伝えなければいけないことなのかもしれないと思って紙とペンを使って書き留めることにしました。
さいわいかな さいわいかな
おのがたまを かみより わかたれしものと しるものは さいわいである
そこまで書き留めたところで頭の中の言葉たちが
すうぅぅ~~~~っ
といなくなってしまいました。
意味は残っているのですが言葉がありません。
ついさっきまであんなにはっきり聞こえていたのになんとしたことでしょう。
これらの言葉たちは頭の外に出してはいけない言葉でだったのでしょうか?
やっぱり伊藤は降りてきた言葉を伝えるのがお仕事なのではなくて
降りてきた教えを身体に染みこませて動くこと、実践者となることがお仕事なのだろうかなと
くっきりはっきり実感したのでありました。
降りてきたことの意味は残っているのでお伝えしますね。
自分の魂が神様の一部分だということを知っている人は幸せです。
その人は自分がどう生きて行ったらよいかを理解することができるでしょう。
自分の魂が神様の作ったものだと思っている人は不幸です。
神様に助けてもらわないと何もできないと思い常に何かから助けてもらうことを求めるでしょう。
人はすべての力を自分の中に持っています。
誰かから助けてもらったり力を分け与えてもらうことが必要だと思うのは
誰かがいないと自分が幸せになれないということです。
そうではなくて
すべての幸せは自分の中にあり
何を行う力もすべて自分が持っているのです。
自分が神様の一部分だということ
つまり神様と同じく大切に敬うべき存在であるということ
それを知って(自覚して)いることは一番大切なことです。
それを知っている人は幸せになれる(なっている)人です。
そしてまた
あなたの隣にいる人も
あなたと同じように神様の一部分であり
神様を敬うのと同じように大切に敬うべき存在なのです。
なんだか突然に過去記事が読みたくなって
直感のおもむくままに『日々の学びカテゴリー』を遡って
あ、これを読む必要があったんだ
と思い当った記事がありました。
伊藤の潜在意識にとって必要なのかもしれないし
他にこのメッセージを必要としている人がいるのかもしれないので
とりあえずコピペしてアップしておきます。
*****ここから*****
みなさんこんにちは、ボディートーク認定施術者なセラピスト伊藤ひろみです。
生活していると時たま『言葉』が降りてくることがあります。
ふと頭の中に『言葉』や何かの『答え』が湧いてくるんですよね。
ラジオの電波のようにあっちにもこっちにも言葉は駆け巡っていて
チューニングを合わせた人だけがそれを聞けるわけですが、
内容の深さや事柄の大小の違いはあっても誰にでもそういうことを受信する能力は備わっているものです。
それを『気づき』とか『啓示』とか『導き』などと呼ぶのかもしれませんね。
そうして受け取った言葉を本にしたりブログにしたりして伝えている方も世の中にはたくさんいらっしゃいます。
『人々に伝える』ことを使命として持ってきている人もたくさんいます。
でも伊藤の場合はどうやら降りてきたことを『お伝えする』のは仕事ではないようです。
そんなことを感じた出来事がありましたので書いてみたいと思います。
昨年伊藤は高千穂に行く機会に恵まれました。
神様が最初に降り立った地ということでおのずとワクワクしてはいたのですが
お神楽を観ていた時にたくさんの『言葉』がダーーーーッと降りてきたんです。
古めかしい言い回しの言葉だったので、神楽舞に刺激された脳が過去に読んだ書物の何かをひっぱり出してきたのかとも思いましたが
妙にはっきりしっかり『言葉』が頭の中でぐるぐるとまわっていたので
これは何かしらの教えをいただいたのだろうと理解しました。
でも日ごろから自分はそういうことを世に伝える仕事は請け負っていないと感じていたので、ただただ頭の中を回る言葉を楽しんでいたのですね。
そしてたいてい日にちが立つとその言葉たちは薄れて消えてしまうものなのですが、その時だけは高千穂から帰ってきてから何日経っても消えずにずーっと頭の中に残っていたのです。
そこでこんなにはっきり頭の中にいるってことは、もしかしたらこれは誰かに伝えなければいけないことなのかもしれないと思って紙とペンを使って書き留めることにしました。
さいわいかな さいわいかな
おのがたまを かみより わかたれしものと しるものは さいわいである
そこまで書き留めたところで頭の中の言葉たちが
すうぅぅ~~~~っ
といなくなってしまいました。
意味は残っているのですが言葉がありません。
ついさっきまであんなにはっきり聞こえていたのになんとしたことでしょう。
これらの言葉たちは頭の外に出してはいけない言葉でだったのでしょうか?
やっぱり伊藤は降りてきた言葉を伝えるのがお仕事なのではなくて
降りてきた教えを身体に染みこませて動くこと、実践者となることがお仕事なのだろうかなと
くっきりはっきり実感したのでありました。
降りてきたことの意味は残っているのでお伝えしますね。
自分の魂が神様の一部分だということを知っている人は幸せです。
その人は自分がどう生きて行ったらよいかを理解することができるでしょう。
自分の魂が神様の作ったものだと思っている人は不幸です。
神様に助けてもらわないと何もできないと思い常に何かから助けてもらうことを求めるでしょう。
人はすべての力を自分の中に持っています。
誰かから助けてもらったり力を分け与えてもらうことが必要だと思うのは
誰かがいないと自分が幸せになれないということです。
そうではなくて
すべての幸せは自分の中にあり
何を行う力もすべて自分が持っているのです。
自分が神様の一部分だということ
つまり神様と同じく大切に敬うべき存在であるということ
それを知って(自覚して)いることは一番大切なことです。
それを知っている人は幸せになれる(なっている)人です。
そしてまた
あなたの隣にいる人も
あなたと同じように神様の一部分であり
神様を敬うのと同じように大切に敬うべき存在なのです。