アメリカの経済学者ダロン・アセモグルらが「誤った情報:戦略的シェア、類友、内生的エコーチャンバー」という興味深い論文を書いた。彼らはtwitterなどのSNSでなぜ誤った情報が流布してしまうのかを分析した。私たちは自分の意見を表明し、あるいは他人の意見を拡散するときに、それが間違っていないかどうかを常に心配している。なぜなら間違った情報を流布すれば、自分のSNS上の評価が傷つくからだ。ただしこれは実名の方が匿名よりも配慮するレベルが高いだろう。また他方で、SNSの利用者は“いいね“やリツイート、さらには好意的なリプライによって社会的承認欲を満たしている。このように、アセモグルたちはSNSでの人々の選択を、1)正しさに配慮する動機、2)社会的承認欲をみたす動機、のふたつのバランスから考えている。1)と2)は、矛盾しないときもあるが、対立するときもある。


 例えば、自分(タナカさん)が興味を持ったtwitter上の情報(ニュースの記事や他人の発言など)をシェアしようとする。この時、タナカさんは自分の好き嫌いに応じて、その情報をどう拡散するかを考える。好意的なコメントをつけて情報を拡散することもあれば、あるいは批判的なコメントをつけて拡散することもあるだろう。あるいは重要な情報が流れてきても無視することも「選択」としてあり得る。まず情報の拡散には、その個々人の価値判断や好みが大きく影響する。それだけではない。「正しさに配慮」することも重要だ。先ほど書いたように、間違いを流せば自分の評価が傷つくことがあるからだ。これはタナカさんが流す情報を読んだり、見たりする人の評価を戦略的に考えるということだ。評価が上がればその戦略は正しく、下がれば戦略は失敗である。もちろんタナカさんは評価が上がる情報を流したいだろう。


 アセモグルらは、この時にtwitterであればフォロワー、Facebookであれば「友達」の役割が重要になるという。タナカさんのフォロワーが、タナカさんと同じ価値判断や好き嫌いをもつのであれば、タナカさんの拡散する情報を「正しい」ものとして受け取りやすい。ここで「正しい」にカッコをつけたことに注意されたい。タナカさんの情報の受け手からすると、「タナカの流す情報はいつも自分の好みに合っている」として、それが本当に事実かどうか、ろくにファクトチェックしなくなってしまう。この時のフォロワーや友達を「類友」とアセモグルたちは表現した。


「別の言い方をすれば、保守はほかの保守と交流し、リベラルはほかのリベラルと交流する傾向にある。それによって類友レベルの高い外生的「エコーチャンバー」を形成し、それによって利用者たちは互いに意見が同調する他の利用者と関連付けられる」(翻訳は経済学101)。


 エコーチャンバーというのは、Echo chamber(反響室)が原語だ。これは自分と同じ意見がいろんな方向から返ってくることを意味する。類友もエコーチャンバーの一種であるが、外的エコーチャンバーは、友達未満の存在で、タナカのことはあまり知らないが、タナカの流す情報が自分にとって好ましいと思う人たちの集合だ。なので類友よりも外的エコーチャンバーの方が属する人たちは大きいだろう。問題はさらにここからだ。そういった外的エコーチャンバーは、タナカに社会的承認欲を与えるに違いない。自分がフォローしている類友以外の不特定多数の人たちから、自分の流す情報が無数の「いいね」やリツイートされれば気分は高まるだろう。自分の流した情報が事実かどうかよりも、そのエコーチャンバーの反響が重要度を増してくる。


 アセモグルたちはさらに、twitterなどのSNSはこのエコーチャンバーを強化すると指摘する。例えばtwitter社の提供するプラットフォーム上で機能しているアルゴリズムは、タナカの好みに合った情報を提供したり、広告を流したり、または「おすすめのユーザー」情報を流す。トレンド欄には、強いエコーチャンバーを背景にしたハッシュタグが並ぶ。こうなると、タナカは単にひとりの人間ではない。いわば巨大なエコーチャンバーの一部を荷ったコマのようなものだ。これをアセモグルたちは内生的エコーチャンバーという。この時に、流す情報が真実なのか、間違っているのか、内生的エコーチャンバー自体にチェック機能はない。分かりやすい表現でいえば、集団的なカルトが形成される。自分が属するエコーチャンバーに外からの声は届きにくくなるだろう。


 この内生的エコーチャンバーの一例として、寄生虫が原因で失明などが引き起こされる感染症の特効薬「イベルメクチン」が、新型コロナウイルスに有効であるという問題がある。東京都医師会会長や数名の医師たちが、イベルメクチンが新型コロナに有効であると発言したことがきっかけで、一部の有力な識者(インフルエンサー)が拡散し、巨大な内生的エコーチャンバーを形成している。筆者もしばしばこの熱心な信奉者にネット上で出会う。だいたいが、いまの新型コロナのワクチン接種に否定的で、また感染対策の規制を緩和する主張と組み合わさっているようだ。コロナにかかってもイベルメクチンで対応できるということらしい。


 だがイベルメクチンを先進国で新型コロナの治療薬で承認している国はない。せいぜい治験中である。また科学的な検証(ランダム比較実験という精度の高い手法)では、イベルメクチンの新型コロナの効果を否定するものが大半である。そもそもイベルメクチンの製造元である「メルク」も「十分な科学的根拠はない」と声明を出している。WHOも科学的根拠が不確実として、臨床試験に限定すべきだとしている。日本の厚労省では、新型コロナへの現段階での利用は、有効性や安全性が確立していないとしている。


 しかし上記のイベルメクチンに関する内生エコーチャンバーでは、このような各国政府、国際機関などの対応は、それぞれの「既得権益」(例えばワクチン接種を勧める経済的利益)がもたらしたものとして批判されているだけだ。一種の陰謀論である。


 イベルメクチンが本当に効果あるのかどうか、科学的に結論が出るまで待てばいいだけなのだが、そうできないのがエコーチャンバーの恐ろしさではないか。