5月20日(土) 晴れ

2日目は横山下丁から仁井田堰に沿って東に向う。奥羽本線の線路に分断されて、迂回を余儀なくされる。

 


仁井田堰

少し進んでから仁井田神明社に行くのを忘れていたことに気が付き400mほど引き返す。神社の前を仁井田堰が流れていると参考書には書かれていたが、わざわざ戻るほどのこともなかった。

 


仁井田神明社と神社前に流れる仁井田堰

仁井田堰を離れ秋田市内に向う。
竿燈まつりの最後に御幣を流すという刈穂橋を渡ると本町通りと茶屋町通りが北に向かっている。
茶屋町通りの入口には松倉家住宅がある。

 


松倉家住宅

本町通りに戻って北上する。
まずは赤レンガ館(旧秋田銀行本店)に立ち寄る。建築費5万円の半分を基礎工事に使ったという。内装も相当に凝った作りとなっていて、昔の銀行はよほど儲かったんだと感心する。この時代、ほんの一握りの富裕層に莫大な富が遍在したのを実感する。

 


赤レンガ館

次に郷土芸能伝承館に入る。たまたま竿燈の実演講習をしていた。

 


竿燈まつりの実演  やらせてもらったのは右下の小さな竿燈

 

中のロウソクが提灯に燃え移らないようにするのが肝で、どれだけ静止させられるかを競うようだ。
実際、ミニ竿燈でやらせてもらったが、相当な修行が必要なことがわかる。
金子家住宅は伝承館の中に入口がある。太物(木綿、麻の反物)を卸す商売をしていたとのこと。

 


金子家住宅

伝承館のすぐ先で、突き当りを左に進む。
枡形となっている六道の辻を左に入ると鱗勝院というお寺がうる。その山門は久保田城の裏門を移設したと参考書には書かれていた。

 


麒麟院の山門

けやき通りとの交差点の左手、中央分離帯の中に八橋一里塚の標柱があった。

 


八橋の一里塚跡碑

そのすぐ先を左にはいったところに日吉八幡神社がある。ここは、往時花見のメッカだったところとのこと。随神門と三重塔が見どころ。

日吉神社 三重塔

面影橋を渡ると左手に宝塔寺がある。寺に行く道を途中から右に入り、すぐ右手の坂を登っていくところに墓があるが、その先に石造りの五重塔がある。石造りは珍しいとのことなので立ち寄った。

 


宝塔寺の石造り五重塔

新潟は油田があると中学校の時に習ったのを覚えている。その場所とポンピングユニットを是非みたいと思っていた。地図上では大体の場所は分かっているが、そこにたどり着けない。ウロウロしてやっと見つけられた。調べたら、今でも採油しているようだ。

 


八橋油田 ポンピングユニット

この先、羽州街道の古道に入る。
菅江真澄の墓があるというので寄ってみた。菅江真澄は江戸時代の旅行家で主に東北地方を旅し、多くの旅行記を残した。奥州街道、羽州街道を歩いていると、あらゆるところでこの名前が出てくる。

 


菅江真澄の墓

途中から新道に戻りすぐに秋田城跡歴史資料館に着く。館内を見学していると、たまらなく眠くなって、とうとうあきらめて、現地を歩く。
秋田城は平安時代の城柵で、これまで見てきた柵と同じような作りになっている。少し離れたところに、当時の水洗トイレがあるということで、かなり歩いたが、見てきた。なんでも、ブラタモリでも紹介されたようだ。

 


秋田城の平安時代の水洗トイレ

この先少し道を間違えたが、土崎の本町通りを歩いた。
途中から1本海寄りの道に出て、土崎みなと歴史伝承館に立ち寄る。

 


土崎みなと伝承館の曳山展示
土崎神明社の曳山行事はユネスコ無形文化遺産、国重文


終戦の前日、8月14日にB29の大編隊が来襲し、1万発以上の爆弾を投下し260人ほどが亡くなったとのこと。
後1日のこと、本当に無念だったと思う。

土崎駅からの電車の時間に合わせて伝承館を出て駅に向う。

歩行距離 23.5Km
歩行時間 5時間54分

 

 


夕方からずいぶん昔、職場で一緒だった、現在秋田在住のMさんと30年以上ぶりに酒を飲んだ。秋田の酒は美味しいね!!
飲んだ酒
ナンバー6、雪の茅舎、高清水、天巧