HIDEKIの世界で起きた、

絵にまつわる話を時々投稿していこうと思います。。

 

 

もう20年近く前のことですが、直観で絵を描くようになって、数年経過したときに

絵の特色として一つのパターンみたいなものが出来上がりました。

 

そのパターンは、今描いているラインアートに近いものではあるのですけど、基本的には色鉛筆で描いていました。

 

どうやって描くかと言えば、

「○○さんに必要なエネルギーを受発振できる絵」と、思ってから、感じるままに描き上げていくものです。

 

絵のカタチとしては、2通りあって、一つは、体の状態を描いているもので、基本ラインが、体のある部分表していて、その場所に向けて、エネルギーが注がれていると思えるような不思議な絵が出来上がっていきました。もう一つは、体の部分でなく心理的な状態を描いていると思えるようなものでした。

 

アート展などで、その場で描かせていただいた後、描いた絵をもとに、その人と話を進めていくと、エネルギーの調整な必要な場所や病気の場所が絵と同じで、そのことについて深くいろいろとお話を進めていくことができました。このことを、当時知り合ったばかりの整体師の先生にこの話をしたところ、「うちに来ている患者さんの絵を描いてみない?」と言われ、自分としては、患者さんの名前だけ聞けば、「描ける」とわかっていたので、患者さんの名前だけを聞いて、絵を描いてみました。

 

描き上げた絵を見て、先生曰く、体の調整すべきポイントが見事に描かれていて、そのカルテに記録している治療箇所と同じところにエネルギーを注いでいるような形態の絵が描けているとのことでした。逆に、参考になるとまで言ってくれました。このことは、とてもうれしくて、大きな自信につながった出来事でした。

 

HIDEKIの絵からエネルギーが出ているとおっしゃる方が、多くいらっしゃいますが、誰しも感じられることでもないということからも、その人の感性の中での話と言えるでしょう。また、受け取れるだけの感性が必要だとも言えることだと思っています。気功などの気と同じで、同調できるには、その同調域がないと感じることができない種類のものです。

 

「○○さんに必要なエネルギーを受発振できる絵」は、その状態から自分の状態を絵という目で見えるカタチのエネルギーで確認して、今後に役立てるというのが、その当時の活用の仕方でした。

 

描く対象の人は、面識がなくても描けてしまうのですが、公に言ってしまうとあまりに怪しいので、一般的には、アート展などでは、名前や生年月日を伺った上で描くようにしていました。

 

 

このときわたしの中で確実性をもって分かったことがあって、今でもとても大切にしていることなのですが、「そのことを描ける自分を信頼する」というものでした。信頼度がブレてしまえば、この直観で描くという描き方では絵が描けないと、はっきりわかってしまいました。

 

なので、ある方に向けて絵を描かせていただくときには、「この人」と対象者を明確にプログラムして描くことだけが必要で、名前や生年月日は必要がなく、というより余計なことは何も知らないほうが、より精度のある絵が描けると自然と理解していました。(現在では、あってもなくても、その情報に引っ張られることはほとんどなくなりました。)

 

直観での創造は、素直さと信頼(宇宙と自分)と共力が基本的な三本柱というのが、わたしの世界での絵を描くときに最も重要なポイントになっています。共力というのは、紙、筆などの画材、空間、空気、見えない存在、様々に関係する存在への協力を依頼するということです。直観で絵を描くということは、自分一人で行うことではないものという自覚があります。総じていうと、直観で生きるということ自体が、HIDEKIの生き方になっています。

 

普通ならわからないだろうと思っていることが、わかってしまうということは、とても怪しいと思われてしまうのが、世の常ですが、今では、そのこと自体、かなり知られることになっています。しかし、玉石混在の状態であることは間違いありません。何を信じて、何を信じないかは、その人次第です。一般的にわかる、ということが常でないのもよくあることで、その時のその人の状態によって、また、伝えるべき人と伝えないほうが良いい人などもあり、状況によって、変化することがよくあります。

 

なので、自分が信じたいことを信じればよいのではないでしょうかね?

 

以上、HIDEKIの世界での一つの出来事でした。