人面桃花(じんめんとうか) | mawata words

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中唐 崔護(さいご)作
       
     

●詠み方
去年の今日此の門の中 
人面桃花相映じて紅なり

人面祇だ今何れの処にか去る 
桃花旧に依りて春風に笑む

●意味
去年のきょう、この門の中で、
あの人の顔と桃の花が、互いにひき立て合って美しかった。
あの人は今、いったいどこへ行ってしまったのだろう。
桃の花だけは去年と変わらず、春風にほほえみかけているのに。

●解説
崔護が清明節の折に郊外へ散歩に出、のどが渇いて近くの一軒家で水を求めた。
対応した娘と互いに心を引かれたが、その時はすぐに別れた。

一年後、再び清明節となり、崔護は娘のことを思い出してその家をたずねた。
ところが、門が閉ざされて誰も出てこない。
そこで崔護は、娘のおもかげを偲びつつ扉にこの詩を書きつけた。
数日後、もう一度この家をたずねると、父親が出てきて、
「あなたは私の娘を殺した」と言う。

娘は、昨年以来、ずっと崔護のことを思い続けていたが、
先日、外出から帰ってこの詩を見て、絶食して死んだのだと言う。
崔護は、娘の亡がらを抱きしめて祈り、

「私はここにいますよ」と言った。
すると娘の目があき、半日ほどで生き返った。
父は喜び、娘を崔護にとつがせた。
この話は、芝居にもなり、中国ではよく知られている。 
詩は、素朴な味わいの即興作です。

      

    

従来、この詩の「興」の解釈は、
桃の花や実や葉を以って、嫁ぎゆく若い娘を象徴するもの、とされていた。
が、実は、この句は、樹木をほめたたえて神をそこに宿らせ、
その福縁にあずかろうとする祈願の際のほめ言葉

(呪詞と同質のものなのである。)
この詩の「興」の詞に用いられた桃は、
古来より懐妊や安産に効験がある呪木として信仰されてきた。
したがって、その桃の花をたたえることは、

明るく平和な家庭を予祝(そうあってほしいと祈る)

することとなりそれを主意としたのがこの詩である。

漢代の焦延寿の撰になる「易林」には、
「春桃花を生ずれば、季女は家に宜しく、

福を受くること多年にした、男は、邦君と為らん。」
と言う詩句が見られます。
これによっても、桃「の呪性」によって福縁がもたらされるという

信仰の存在したことが理解されます。

清明の日(ふつうは墓参りの日)、

都城の南に出かけ、人が住んでいる家を発見した。

手狭な家で、草木はぼうぼう、

静まり返っていて誰もいないように思えた。

門をたたいてしばらくすると女の子が出てきて門の隙間から崔護をうかがった。

女の子「誰ですか?」

崔護は名を名乗り、

「春を訪ねていたら、酒に喉が乾いてしまったので水をください」と答えた。

一杯の水をくれた女は、

門を開いて牀(腰掛け)をこしらえ崔護を座らせ、

自分は斜めに伸びた桃の枝に寄りかかって立った。

意属(いしょく・崔護への熱い思い)が甚だしいようであった。

なまめかしく媚びるような振る舞いをし、

綽(しゃく・ゆったりしとやか)としていて有り余る妍(美しさ)があった。

崔護はくどいてみたが女は(ウブだったので)何も言えなかった。

崔護が辞去(別れを告げて去る)するとき、

門まで送って、その恋する思いは抑えられない様子で、

門の中へはいって行った。崔護もまた振り返りながら帰った。

以後、二度とそこに至ることはなかった・・・

(と思いきや、)一年後の清明の日、急に女の子のことを思いだして、

思いを抑えられなくなり、逕ちに(ただちに)そこを訪ねてみると、

門や塀はもとのままのようだったが、鍵がかかっていた。

詩を左の扉に書きつけて、言うには・・・


 

●現代語訳

去年の今日この門の中で、

女の顔と満開の桃の花は互いに映えて、女の顔は紅潮していた。

女はいまどこへ行ったのだろう。

桃の花は例のごとく春の風にそよいでいるというのに・・・

(一連目の中、二連目の紅、四連目の風が踏韻)

数日して、偶(たまたま)都城の南に行き、再びあの家を訪ねた。

すると、門の中からわぁわぁと哭する(人を弔って泣く)声がするので、

門を叩いてその理由を聞いた。

 老いた父が出てきた。そうして「あなたは崔護ではありませんか

(君崔護に非ず耶)」というので、

「そうです」というと、また泣いて「あなたが私の娘を殺したんだ」と言った。

崔護は驚いてハッとし、何と答えて良いのかわからなかった。

老父「私の娘は笄年(けいねん・15歳・女性は15歳でかんざしを差すためこういった。

ちなみに志学も15歳)で、学問を知り、まだ嫁いでいなかった。

去年からずっとぼうっとして何かを失ってしまったかのようでした。

つい先日娘と出かけ、そうして帰ってみてみると、

門の左の扉に字(詩)が書いてあるのを見て、これを読んで、

門の中に入ると恋の病のために倒れてしまった。

最終的には食べ物ものどを通らず、数日で死んだ。(心労のために)私は老いた。

この娘が嫁がなかった理由というのも、

立派な人に父であるこの私の身を託そうとしていたからなのです

(そのような人を探していた)。今となってはもう不幸なことに死んでしまった。

あなたが娘を殺さないと言う事がありえましょうか、いや殺したのです。」


老父は、さらに、はなはだしく泣いた。崔護もまた感慟

(悲しみに心を動かす)し、死んだ娘の遺体を弔うために泣かせてくれと頼んだ。


いまだなお、おごそかに牀(ベッド)に横たわっていた。

崔護は女の首を持ち上げて、自分のふとももで膝枕してやり、

泣いて祝りて(のりて・悼む)言うには、

「私はここにいます、私はここにいます」

すると、女は須臾(しゅゆ・すぐに)にして目を開き、

半日で復活した。その父は大いに喜んで、最終的には女を崔護に帰(とつ)がせた。