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過食と私

摂食障害のブログです。過食症の克服を目指しています。

いろんなモヤモヤが「食べたい」方へ行きます。
太ったことも、退屈なことも、人間関係の悩みも、無職の不安も、体の重さも、どれをとっても「ああ、食べたい」という気持ちになる。

どうしてだろう。
ずっと、日がな一日中食べていたい気持ちになるのです。
これを欲求に従って、がつがつ食べれば過食に逆戻りになるのですね。
ストレスが「食べたい」に行かない人が羨ましい、と思ってしまいます。

「生活」らしい生活ができない。

朝起きてご飯食べて、何らかの活動をして昼食をとり、また活動して夕食をとり、すこしゆっくりして就寝。

こういう感じの。

どこかでだらっと寝てしまったり、どこかで無駄食いをしたり。
いくつかのだらける点が増えていって、その内つながって一日中がグダグダになる。
そのグダグダ感がつのって「食べたい」気持ちに集中していく、こんな流れです。

こんな調子で食べればすっきりするどころか、後悔と不安でストレスはたまる一方なのは分かっている。
すでにそうなっているし。


体力が無いなら無いなりの規則正しい生活を模索してみようかと思います。
どうもダメな日が多いです。
やはりどう頑張ってみても、太ったことが重くのしかかっているのが現実です。

今にも泣きそうです。

良いことがあるとそのあとすぐに悪い事が起きる。
そんな風に思っているところがあります。

今日もそんなことがありました。
「これだからちょっと幸せでもすんなり喜んではいけない・・」
と、こんな考えに及んでしまいます。

良い事もあれば悪い事もあるのが世の常なのに、
まるで、自分が浮かれていたからバチがあたったかのような気がします。

それはそれ、これはこれ、ただそれだけの事なのだろうに。

ウキウキした分落ちる時のショックがすごくて、そのまま自己嫌悪になだれ込むので昔から喜ぶのが怖いようなところがあります。

良い事があっても、でもこうだから、ああだからと不満な点を見つけてブラックな気持ちを保とうとするのです。
「どうせすぐにこの幸せを掻き消すような悪いことが起きるんだ」と構える。
そうしていればいざ悪いことが起きても「ほらね」と冷静でいられる。
ずっとそうやってきました。


この関連付けを断ち切れたら、もっと前向きになれるのかな、とこの頃は思います。
良い事は良い事で喜び、悪い事は悪い事で悩む。
それぞれ独立したものとして受け取る。
そうできたら物事のとらえ方や、生き方が変わりそうな気もします。



それにしても、がっかりすぎて涙ぐみます。
期待したくなくても期待してしまいます。
希望を持ってしまいます。
こんな自分も、物事が上手く運ばなかったことも、なにもかもが仕方のない事です。





今日はめずらしくけっこう幸せな気分です。

痩せたわけでもなく、仕事が決まったわけでもなく。
生理2日目だというのに。


自分の表現したいことを心地よく表現できて、それが相手の心に届いた。


そういう体験をしたからだと思います。
ただそれだけで、とても充実した気持ちを感じる。

逆にこういうことが上手くいかない時、伝わらないどころか誤解を招いたのではないかと不安に思う時には、不幸のどん底に陥るような心地がします。
そんなときの方が圧倒的に多いと感じるのは自分に自信がないからなのか。


人間同士の関わりがどれだけ自分の心に影響を与えていることか、改めて感じます。
この頃、嫉妬に駆られたら想像してみるのです。

今この瞬間に羨み、求めているものは私に本当に必要なものか。
私の心を、私の人生を充足させるものなのかどうか。



人が妬ましくて、優越感を得たいという焦りがわいてきたとき。
仮に、今湧いているこの妬ましさに駆られて、人より上に立つことを追い求める道を選んだとしたらどうなるか。
40になり、60になり、老いていく自分。

人よりスタイルが良くなったり、お金持ちになったり、名声を得たり。
何らかの形で人より突出することで得られる優越感。
そういった優越感を、なりふり構わず必死になって追い求めて、その結果ある程度得ることができたとする。

はたして私はその自分に満足するだろうか。

こう考えた時に私が想像できるのは、いくつになっても優越感にしがみついて、相変わらず何かに嫉妬しては焦っている自分です。



何かに嫉妬するとき、その原因を冷静に考えてみると、単なる見栄だったり劣等感の裏返しだったりする場合が多いです。
その嫉妬の感情は一時的なもので、振り回されても精神が消耗するだけ。

しかし一方では向上心の現れということもあります。
自分の目指す延長線上に相手がいるときです。
その場合は、嫉妬の根底にある自分の思いを見つめ直して自分の努力の方向性を考えるべきでしょう。



ただの優越感ではきっと幸せになれない。
幸せになるには自分の生き方そのものが豊かになるような充実感が必要なのだろう。



こんな風に整理していくと、大抵の嫉妬や焦りが取り立てて追い求める必要がないものであることに気づきます。
気づいてもそう簡単に嫉妬心が解消するわけではありませんが、少しだけホッとする。
自分の幸せは、自分に無理なことを頑張ることではなくて、自分の本当に求めるものを求めていくことだと思えるから。






嫉妬がどんどん湧いてくるようないやな状態になっているけど、どんなに何かを羨んでも私自身に何もいいことはない。

私ができるのは私として生きること。
私ができるだけ自分に満足するように生きること。

それは、理想ばかりを追いかけるのではなくて、今の私ができることをやるということ。
目の前の日々をまじめに生きることだ。
自分から目をそらさずに、この自分を育てることだ。

そうして積み重ねた日々がいつか自分への自信になるかも知れない。

毎日こんなきれいごとを言っていられない。
でも自分の汚い心に自分の内面を引っ掻き回され過ぎないうちに時に思い出してみるとよい。