このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です
この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp
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有楽町界隈

20181026 東京南 商店街
東京都中央区銀座・千代田区有楽町
有楽町界隈
千代田区の見解では、東京都千代田区の有楽町(ゆうらくちょう)という町名は、戦国時代の大名の織田有楽斎(織田長益)に由来するとされる[5]。茶人としても名をはせた有楽斎は関ヶ原の戦いのあと徳川方に属し、数寄屋橋御門の周辺に屋敷を拝領し、その屋敷跡が有楽原と呼ばれていたことから、明治時代に「有楽町」と名付けられたとされる。しかし、読みがその際「ゆうらくちょう」に改められたとする証拠はなく、しかも織田有楽斎は、生涯のほとんどを上方で過ごしており、江戸に屋敷を拝領したという記録も、江戸に来たという記録も見当たらない。


「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑱」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」
「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑰」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」
「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑯」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」
新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑮」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」
「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑭」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」
「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑬」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 修正
「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑫」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 修正
「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑪」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」
「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑩」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」
「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑨」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 第4木曜日実施
「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑧」 カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 第4木曜日実施
カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑦⑧修正20171201」
カルチャーセンター「建築散策と東京散策」 「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑥修正20171105」
カルチャーセンター「建築散策と東京散策」⑤ 第4木曜日実施 「新旧の街を比較しながらの建築観察・東京歴史散策⑤」
20150930 東京南東・商店街
東京都千代田区有楽町
有楽町界隈①
駅名である有楽町の地名は、この辺りに織田信長の弟である織田長益(有楽斎)の邸宅跡地があったことに由来している……という俗説があるが、織田長益が江戸に住んだことはなく、有楽という文字列が同じなため、流布されたものである。実際の有楽町は明治時代初期に永楽町とセットで命名された地名である。
千代田区の見解では、江戸開府の際に織田信長の弟、織田長益(有楽斎)が徳川家康より数寄屋橋御門周辺の土地を拝領し、その屋敷跡が「有楽原」と呼ばれたことから、明治時代に有楽町と名付けられたとしている。しかし、読みがその際「ゆうらくちょう」に改められたとする証拠はなく、しかも織田有楽斎は、生涯のほとんどを上方で過ごしており、江戸に屋敷を拝領したという記録も、江戸に来たという記録も見当たらない。











20150930 東京南東・商店街
東京都千代田区有楽町
有楽町界隈②
駅名である有楽町の地名は、この辺りに織田信長の弟である織田長益(有楽斎)の邸宅跡地があったことに由来している……という俗説があるが、織田長益が江戸に住んだことはなく、有楽という文字列が同じなため、流布されたものである。実際の有楽町は明治時代初期に永楽町とセットで命名された地名である。
千代田区の見解では、江戸開府の際に織田信長の弟、織田長益(有楽斎)が徳川家康より数寄屋橋御門周辺の土地を拝領し、その屋敷跡が「有楽原」と呼ばれたことから、明治時代に有楽町と名付けられたとしている。しかし、読みがその際「ゆうらくちょう」に改められたとする証拠はなく、しかも織田有楽斎は、生涯のほとんどを上方で過ごしており、江戸に屋敷を拝領したという記録も、江戸に来たという記録も見当たらない。











20180330 東京南 シンボル
東京都千代田区内幸町
帝国ホテル
帝国ホテル(ていこくホテル、英称:Imperial Hotel)は、東京都千代田区内幸町にあるホテルである。運営者は、株式会社帝国ホテル。東京の他に大阪、上高地にある。日本を代表する高級ホテルのひとつであり、ホテルオークラ、ニューオータニとともに「(ホテル)御三家」と呼ばれることもある。
明治19年(1886)に東京の官庁集中計画が練られた際に、外国人の接遇所を兼ねた国を代表する大型ホテルの設計が組み込まれ[1]、帝国ホテルが1890年(明治23年)11月3日に落成、同7日に開業した。隣接する鹿鳴館と密接な関連を持ったホテルとして井上馨が渋沢栄一と大倉喜八郎の2人を説いて、1888年(明治21年)有限責任帝国ホテル会社(設立当初は有限責任東京ホテル会社)を設立させ建設したものである。



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20180330 東京南 シンボル
東京都千代田区内幸町
帝国ホテル
帝国ホテル(ていこくホテル、英称:Imperial Hotel)は、東京都千代田区内幸町にあるホテルである。運営者は、株式会社帝国ホテル。東京の他に大阪、上高地にある。日本を代表する高級ホテルのひとつであり、ホテルオークラ、ニューオータニとともに「(ホテル)御三家」と呼ばれることもある。
明治19年(1886)に東京の官庁集中計画が練られた際に、外国人の接遇所を兼ねた国を代表する大型ホテルの設計が組み込まれ[1]、帝国ホテルが1890年(明治23年)11月3日に落成、同7日に開業した。隣接する鹿鳴館と密接な関連を持ったホテルとして井上馨が渋沢栄一と大倉喜八郎の2人を説いて、1888年(明治21年)有限責任帝国ホテル会社(設立当初は有限責任東京ホテル会社)を設立させ建設したものである。



有楽町~日比谷界隈
https://ikesuso.jimdofree.com/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8/%E5%8D%83%E4%BB%A3%E7%94%B0%E5%8C%BA%E7%95%8C%E9%9A%88/%E6%9C%89%E6%A5%BD%E7%94%BA-%E6%97%A5%E6%AF%94%E8%B0%B7%E7%95%8C%E9%9A%88/
JR有楽町駅
山手線の東京駅の次の駅であるJR有楽町駅。この界隈の有楽町・日比谷・銀座はとても近く、どの駅からもそれぞれに歩いてすぐ行けるイメージです。

東京国際フォーラム
有楽町駅から少し北へ行ったところに、とても大きくて綺麗な建物である東京国際フォーラムがあります。
東京国際フォーラムは東京都庁舎が新宿に移った跡地に1996年に建てられ、大きなホールがいくつかある他、相田みつを美術館もあります。

太田道灌像
東京国際フォーラム内にある太田道灌像。太田道灌は1400年代に初代江戸城を築城した人物として有名です。

ゴジラスクエア
有楽町駅から南西へ200mほど行くとすぐ日比谷エリアになり、「ゴジラスクエア」という広場があります。
この広場は日比谷シャンテ30周年に合わせて2018年に完成したそうで、スクエア内にはゴジラ像が立っています。

ゴジラ像
ゴジラスクエア内にあるゴジラ像。ここには前からゴジラ像がありましたが、ゴジラスクエアにリニューアル後は2016年に公開された「シン・ゴジラ」に出てくるゴジラになっています。

ゴジラ像の足元にある説明版。映画「シン・ゴジラ」に出てくる巨大不明生物特設災害対策室の矢口蘭堂氏の言葉「人類は、ゴジラと共存していくしか無い」が刻まれています。このゴジラ像の下に、1954年の映画「ゴジラ」の撮影時に使用された現存する決定稿と絵コンテが納められているそうです。

ちなみに下の写真は今のゴジラ像が立つ前の旧ゴジラ像。「シン・ゴジラ」前のゴジラで、台座には「このゴジラが最後の一匹だとは思えない。」と書かれていました。この像は今も日比谷シャンテの映画館のロビーにあるそうです。

日生劇場
日比谷シャンテから西へ200mほど行くと日生劇場があります。日生劇場の建物は昭和の大建築家・村野藤吾の作品です。
また日生劇場の後ろには宝塚劇場があります。

帝国ホテル
こちらは日生劇場の横にある帝国ホテル。一等地にある壮大なホテルです。
この帝国ホテルは何といっても初代のホテルが有名で、初代帝国ホテルは渡辺譲が設計、また世界的に有名な建築家であるフランク・ロイド・ライトが設計したライト館もありました。
残念ながら初代帝国ホテルは1968年に火事で全焼、そしてライト館も今の新館建設のため1968年に解体されましたが、ライト館は現在犬山市の明治村に移築され復元されています。

農産陳列所蚕病試験場跡
帝国ホテルの前に、農産陳列所蚕病試験場跡の案内板があります。
農産陳列所蚕病試験場というのは明治期に政府が当時の日本の主な輸出品であった生糸産業の奨励のために作った施設だそうで、今の東京農工大の前身なんだそうです。

鹿鳴館跡
帝国ホテル横のNBF日比谷ビル前に、鹿鳴館跡のプレートがあります。
鹿鳴館は明治期の日本で外国人をもてなすために1883年にジョサイア・コンドルにより建築された煌びやかな洋館で、歴史の教科書にも出てきた記憶がありますが(笑)、1940年に解体されました。
なお鹿鳴館のミニチュア版が両国の江戸東京博物館にあり、なかなか見応えがあります。

日比谷公園
そして日生劇場や帝国ホテルから日比谷通りを挟んだ向かい側にある大きい公園が、都会のオアシス・日比谷公園です。

樋口一葉生誕地
内幸町の東京電力本社から道路を挟んだ向かい側に、樋口一葉生誕地の案内板があります。樋口一葉は台東区に記念館があるので下町のイメージがありましたが、生まれたのはこの都会の界隈だったそうです。
