8月15日。終戦記念日。

炎天下の今日。78年前の今日も、同じ様な暑さだったのだろうか。いや、暑さなどを感じる余裕など無く、絶望の真っ只中に居たのではないかと思う。

それでも日本は脅威の速度で復興を成し遂げた。

その原動力とは何だったのだろうか…

悲しみ、苦しみ、憎しみ。怒りや悔しさ、そして、散って逝った多くの同胞に報いる為、愛する大切な誰かの為。それらのエネルギーがあったからこそ、この復興と繁栄を成し得たのだ。それは決して奇跡などでは無く、必然の結果だと確信している。

死者310万人と行方不明者100万人と言われる夥しい犠牲。その数に付随する悲劇と惨劇。今日の日本の平和と繁栄は、その犠牲の上に成り立っている。

感謝と同時に、先人達の血と汗と涙で築き上げられたこの日本の平和と繁栄を守り、更に子孫へ引き継ぐ義務があると痛感するのだ。

しかし、平和が当たり前だと錯覚する歳月を重ねてしまった日本。平和は勝ち取らなければならない事を忘れた日本人。

戦争が良くないのは当然だが、侵略を狙う国がある以上、武力・戦力は必要不可欠なのだ。

歴史は繰り返す。そう遠く無い日、人間の愚かさを改めて知る事になる。日本人の脈々と受け継がれてきた血は、その時に目覚めるだろう。


俺は想う。

犬死にや虫ケラの様な死が累々と積み上げられる戦争という極限状態の中で、自分の人生、そして命というものに、人々はどんな意味を見出す事ができたのだろうか。

生きてるのか死んでるのか分からない生を貪る人間が蔓延る現代においても、命というものの価値に様々な疑問が湧くのだ。

人は何の為に生きているのだろうか…

命が等しいというのは正しい。

ただ、生と死への向き合い方によって、その命の価値とその輝きには雲泥の差があるのではないだろうか。

良い悪いは別として、命が激しく燃えた時代だった。

俺は羨ましいのだろう。目的や意味を持って、命を燃やし尽くした当時の人達が。


不謹慎だが、下の写真を見て想わずにいられないのだ。

目的や自分の役割を確信した人間というのは、かくも美しいのだと。




この笑顔の背景にある悲惨さと哀しさに胸が詰まる。戦争の道具にされた哀れな若者達なのだが…

それでも、この笑顔に惹かれてしまうのだ。

何の為に自分が死に逝くのか、自分の命をどう遣うのかを、覚悟し確信しているのだ。その毅然とした意思と、儚くも強烈な生き様に、敬意と羨望を感じずにいられない。

覚悟をした人間の強さに圧倒されるのだ。

そして、死が隣にあるからこそ生が輝くのだ。


だからと言って、戦争を賛美している訳では無いし、戦争がどんな狂気と悲劇を生むのかを理解した上で、あえて視点と次元を変えた見方をすると、靖国神社に眠る英霊達と、復興の為に懸命に生きた人々の命の輝きに、ある種の羨ましさを感じる程に現代は病んでいると言えるのではないか…


戦後78年目の今日、「先人への感謝」「自分は何の為に生きているのか」

強く感じたこの二つの想いを、ここに書き記しておきたい。

何よりも、日本の繁栄の為に礎となった先人の方々の魂に、追悼の意を捧げます。

令和5年8月15日