587 大川上美良布神社(香美市)には正面の聖神社の孝元天皇の孫にあたる仁徳天皇も祀られている | ひぼろぎ逍遥

ひぼろぎ逍遥

http://ameblo.jp/hiborogi-blog/

587 大川上美良布神社(香美市)には正面の聖神社の孝元天皇の孫にあたる仁徳天皇も祀られている

20180308

太宰府地名研究会 古川 清久


 今回、橘一族後裔別役一族の例大祭(別役神社)に参加したのですが、B氏と待ち合わせをした箱物施設の正面にはこの地域最大の美良布神社がありました。

 この延喜式内社自体についてのブログは後に回しますが、前日と当日二回に亘って見せて頂いた際に、右手奥に若宮神社が置かれている事に気付きました。

 四国は過去五回ほど踏んだ程度でしかなく、勿論、一般化などはできないのですが、これまで4県で高良神社は15社確認したものの、若宮神社は1社しか確認しておらず、これで都合2件目の発現事例を回収した事になります。さて、竹内荘市氏による「鎮守の森は今」には、高知県内の二千数百社中に10社以上ある神社群の一覧表が掲載されています(14p)。


587-1

今のところ、この神社のカウントは境内社を含むものと理解していますが、高知県だけでも若宮神社がこれほど拾えるとは驚きです。

 まず、「古事記」が仁徳を応神の子などとしているのは全くの大嘘でしかありません。

九州王朝の本山、久留米の高良大社に奇跡的に残された「高良玉垂宮神秘書」によれば、高良玉垂命こと開化天皇と仲哀死後の神功皇后とは夫婦と書かれており、周辺の神社伝承などと併せ考えれば、その正室長子が仁徳(あくまでも藤原によって14代とされた)=シレカシノミコトとなるのです(四人は神功の連れ子…?)。まだ、この若宮が付近からの合祀なのか、神社基層にあった古層の神なのかは不明です。

斯礼賀志命(シレカシノミコト)朝日豊盛命(アサヒトヨサカノミコト)暮日豊盛命(ユウヒトヨサカノミコト)神渕志命(カミブチシノミコト)タン上命(タンカミノミコト)神坂本命(カムサカモトノミコト)神安楽応宝秘命(カムアラキオホヒノミコト)神安子奇命(カムアシキノミコト)神娜男美命(カムナオミノミコト)

 この大川上美良布神社に若宮神社が摂社として存在している意味を考えていますが、やはりこの神社の基層に九州王朝祭祀が及んでいた事を考えざるを得ないのです。


587-4
587-2

大川上美良布神社の縁起も偽装が及んでいるとの印象を受けます。

主祭神の大田々祚古命は良いとしても、百嶋由一郎最終神代系譜との関係を見比べて頂きたいと思います。
587-3


587-5

しかし、最低でも高知県内に24もの若宮神社が存在するとすれば、まだまだほんの一部しか見ていない事に気付き愕然としますし、フィールド・ワークの限界を感じてしまいます。


587-6

活玉依姫は鴨玉依姫の娘ですから海幸(大山咋)系のつまり崇神系の神社であろうと考えられます


 いずれにせよ、大川上美良布神社の道を挟んだ正面にひっそりと鎮座する聖神社は物部の元祖 孝元天皇を祀るもので、高良玉垂命=開化天皇を挟んで祖父と孫との関係を意味しているのです。


百嶋神社考古学に関する資料を必要とされる方は09062983254までご連絡下さい