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011 泉 式部は肥前の杵島で生まれ育った                    

20131224

久留米地名研究会 古川 清久




和 泉式部が生まれた土地 佐賀県杵島郡白石町(旧錦江村)

 

「万葉集」に、「あられふる 杵島が岳を険(さか)しみと 草とりかねて 妹(いも)が手をとる」と詠われる杵島山では、かつて歌垣が行われていたと伝えられています。


このことから、この地に揚子江流域、もしかした、遥か奥地の雲南省辺りから、呉越の民、ビルマ、タイ系の人々が入ったかも知れません。
雲南省からなぜと思われるかも知れませんが、これについては、いずれ別稿として書くことにします。


ここでは、数年前までの理解、揚子江流域からとしておきます。
さて、和泉式部は佐賀県白石町(旧錦江村)の福泉禅寺(当時は禅寺ではないでしょうが)で生まれています。すぐそばには、百済の聖明王の一族が八隻の船で渡来(亡命)したとされる稲佐神社があります。

式部は和泉守の橘 道貞の妻となり、父の官名と夫の任国とを合わせて和泉式部と呼ばれます。この道貞との間に小式部内侍が生まれます。夫とは後に離れますが、娘は母譲りの歌才を示しています。


皆さんご存知でしょうか。百済の王都は錦江(クムガン)にありましたね。稲佐神社に聖明治王の一族の亡命伝承があるとすれば、旧錦江村の錦江がクムガンと無関係とは思えないのです。もしかしたら、和泉式部も百済系渡来人の子孫か一族だったかも知れないのです。



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福泉禅寺0954-65-4162カーナビ検索入力用





和泉式部が育った土地 佐賀県嬉野市塩田町五町田


式部は杵島山を西に越えた嬉野市塩田町五町田の大黒丸夫婦に九歳まで育てられ京都に登り参内します。


平安朝きっての歌人として名高い和泉式部は、佐賀県杵島の福泉寺に生れ、塩田郷の大黒丸夫婦にひきとられて9歳まで過ごしました。その後、式部は京の宮廷に召され、優れた才覚と美貌で波瀾に満ちた生涯を送ったと伝えられます。


今でも嬉野市塩田町には和泉式部にまつわる地名や伝説が数多く残っており「五町田」という地名は式部が詠んだ「ふるさとに 帰る衣の色くちて 錦の浦や杵島なるらん」という歌に感動した天皇が大黒丸夫婦へおくった「5町の田圃」から由来するものです。「和泉式部公園」はこうしたロマンあふれる伝説の地に造られています(嬉野市のHPより)。


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写真は和泉式部公園   (嬉野市塩田町)


佐賀みたいな田舎から何故参内できたのか?と、首を傾げ、お疑いの向きもあるかと思いますが、それにはそれなりの理由があるのです。これについても別稿とします。

直近の公共的施設 児童養護施設 済昭園 佐賀県嬉野市塩田町大字五町田甲3443番地


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