多くの方は、意識が自分と鍵盤の間にあって、そこで音楽を創ろうとしているように見える。
脱力が出来ていなくて体に力が入っている人や指弾きの人は、とくにそう見える。
私自身、指弾きで熱心に弾いていた中学生の頃はそうだった。

ところが今習得している奏法では、弾く行為よりも響きを聴く方へ意識を置くので、必然的に鍵盤よりも響きの飛んで行く客席の方、会場全体へ意識が向かう。
ここまではこの奏法を学び始めると段々出来るようになり、鍵盤にしがみつくような演奏ではなくなってくる。
けれども自分の背中側の空間を意識出来ている人は少ないように思う。

そもそも日常生活において、自分の背中側や頭上を意識しながら過ごす事は少なく、歩きながら背後を気にしたり上を見上げたりする事はあまりないだろうし、日本のような基本的に安全な社会で暮らしていると、自分の前方や多少横方向に意識を向けていれば問題なく過ごす事が出来る。

けれども私はこの奏法を学び始めて、日々の暮らしの中でも、自分の背後や頭上を意識するようになった。
決していつもではなく、前方しか見ていない時もあるし、ボーッとして前方すらよく見ていない時もあるけれど。。。
それでも道を歩いている時に空を見上げたり、背後を含めた空間を感じ、街という空間にいる事を意識する事は多い。
そうすると突然視点や視野が変わり、前方しか見ていない時には無意識のうちに「自分は」という思考だったものが、もっと客観的なものに切り替わったりする。
凝り固まっていた小さな頭の中に新鮮な空気がスーッと入ってきて、途端に視野も世界も広がり、体の力も抜ける。

その感覚は、演奏する時にも大切で、自分の背中側や頭上を意識している演奏は、その空間全体の中に自然に存在する。
自分とピアノが格闘しているような演奏は聴いている方も疲れてしまう。
空間を意識して、その中に生まれてくる音楽が自然であることを目指したい。

日頃から空間を意識して生活する事でその感覚は演奏に活きるけれど、背後や頭上を意識するあまり前方不注意にならないように。。。