「"譜読み"はどんなふうにしている??」と聞かれる事が多い。
その度に、「どんなふうにしているだろう??」と考えてしまう。
私がしている事は、「譜読み」という言葉から想像されるような「所謂、譜読みらしい譜読み」ではないから、「譜読み」と言われてもピンと来ない。

師匠は常々、譜読みの段階から理想の響きを求めて空間で音楽を創るように、と言う。
忘れもしない。師匠の下でレッスンを受けて間も無い頃、"台本棒読み状態"のような譜読みをしていくと、師匠は「それで?それで何か面白い??」と言ってレッスン室を出て行ってしまった。
それ以来、「"棒読み状態"の譜読みは、譜読みではないのだ」という事を悟り、私の中で「譜読み」の概念が変わった。

まず、耳から入る事が圧倒的に多い。
CDなどで各パート毎の旋律を追いかけてみたり、聴き方を変えながら何度も聴き、曲の構成や仕組みを耳で覚える。
次に、構成を捉えて各フレーズの意味を掬い取り、それぞれをどのような響きで演奏したいか思い描く。
これが、この奏法における譜読みの、最も大切な部分だと思う。

各フレーズ、各パートの、理想の響きを思い描いたら、いよいよピアノに触れてみる。
ピアノに触れて、楽譜に記された記号や楽譜に書かれた音を辿りながら、理想の響きで鳴っているか確かめる。
一つのフレーズを理想の響きで演奏するには、手や腕をどのような角度にすれば良いか、運指をどうすれば良いか…
内声を理想の響きで弾くには手の角度をどうすれば良いか、手の大きさなど物理的にどうしてもその響きが無理だとわかった場合は、違う響きに変更してみる。
そこだけ変更するのはおかしいので、内声のキャラクターを最初から変更する場合もある。
外声との響きのバランスはどうか…
などなどやってみているうちに、当然、理想の響きではない響きが鳴ったりして、意外にもその響きの方がピッタリくる場合もある。

つまり、響き最優先で、手の動きや角度などを一連の動作(1フレーズ=1つのライン)にして、「ここからここまで、よし!」と創り上げていく。
この奏法で、「譜読みをしてきた」という事は、「響きを選んできた」という事。
「響きを選ぶ」には、何故その響きを選んだか、という根拠が無ければならない。
音楽を読解し、自分の解釈を持ち、それに相応しい響きを選んでいく。

棒読み状態で、とりあえず音符をなぞって演奏し、あとから強弱などつけてみるのと、最初から響きを選ぶのとでは、出来上がりが全く異なる。
このブログの2つ目の記事「塗り絵を立体へ」に書いたけれど、両者には2次元と3次元の違いがある。
3次元の音楽は、心地良い空気の振動の波となって、聴く人の心に染み込んでいく。

どのような譜読みをして来たかで、奏法の習得度がわかってしまう。
譜読み=響きを選ぶ事は、この奏法の基本で、その土台があってこそ、立体的で表情豊かな音楽に仕上がっていく。