高尾山近くのこの辺。
あずさで通るとき、なんとなく山間の町が見えて、なんとなく気になっていた所。
電車からみる景色が気になることはよくあって、今回は通行不能都道つながりで行ってみた。
ここは東京都道516号線。
そして小仏峠を越えると神奈川県道516号線。
小仏峠の前後は車両の通行は不能。
現在の国道20号線と1代前(神奈川県側は現在の国道20号より少し南側を通っていた)は皆さんご存知。ですよね。
明治21年に開通した馬車が通れる道。
その前、江戸幕府は現都道516号線を甲州街道と定めていた。
小仏峠を境に東が都道、西が神奈川県道。
じゃあ、行きますか。
国道20号線に立って撮影。
その信号を右折すると、都道516号が始まります。
終焉への始まり。
右折すると圏央道をくぐります。
圏央道の橋。
見たことないデザイン。
あの黒いカバーみたいな部分は本来なくて構造物がむき出しになっているはずなのだろう。
道が狭のにバスが通るもので・・・
車を停めてすぐ写真を撮って走り出す。もんだから電柱がとか・・電線が・・・とか考えている暇はない。
とにかくラン&ガン。
しばらくあずさの車窓から見た田舎道を走ると辿り着く。
核心の道。
普通の人は「道がなくなった」というだろう。
そうではない!
これを読む多くの廃道マニアは知っている!
車両通行不能区間。それもまた道なのだ。
沢と道が近くにある序盤はそんなに道も狭くない。
午後の日差しが、戻ってくるときは薄暗くなっちゃってるかな~と不安にさせる。
水もほんとに綺麗で、写真に撮ると水が写らない、よくわからない。
最初に出てくるのはこれ。
水準点。
都道の証というわけではないけれど。。。
法面だけでも楽しめる。
上に道があるわけではないが、段々に造られている。
自然の石の上に造られた人口のもの。
川と道が分かれる場所。
この急な坂に1つ目がある。
こいつだ。
鋲の状態のキロポスト。
コンクリートに舗装されたときに造られたのだろう。
一瞬だけ舗装された道は再び未舗装に戻る。
次に出てくるのはこの旧タイプのちょっと背の高いやつ。
実はこれ結構いい発見で、
裏に「都 188」と記されている。
今歩いているのは都道516号線なのになぜ188?
ここが516になる前は188だったからです。
その時代の名残。
最初は広めだった道もこの辺は狭くうっそうとしている。
見えますか?左側に「じゅる・・」
寄るとこれ。
あんまりよらないでしょこういうの。
ていうか見ないよね。
頂上までもう少し。
背丈ぐらいの草の中を抜けると、ちょっと開放感のある木々の中。
結構まめに設置されているな~。
さて段々ラストに近づいています。
写真を撮りながら、道を確認しながら、汗かきながら。。。
暑い。
今写真で見返してるとこれ「3」ってなってるのに1つ前は「2」ってなってるんだよね。。
歩いた順で撮ってるから順番はあってるはずなんだけどな。
ベンチとテーブルがあって、タヌキの置物があるいる広場に出ます。
その奥へ行かなければなりません。
奥への道はこんな感じ。
奥の広場はこの傾いた屋根の大きく「高尾山」と書かれた標石群。
それと
この石碑。これがあることを知りませんでした。
明治天皇がご巡幸で休憩された場所を示すもの。
ここもか。結構貴重だと思います。
で、こっちが標石群。
まずは今まで見てきた青坊主。
「終点」と記されています。
都道の端っこ。
こっちは「境界標」と書かれています。
こっちは読める部分だけでは「文部」とあります。
これはたぶん石仏が彫られているのでしょうか。
何かを形どったようなものがあります。
「高尾山」と大きく彫られた標石の右側面。
「甲州郡内領 下谷村中 世話人 三澤〇〇」とあります。
左側面には「寛政七〇〇三月」
(※ ”〇”は読めなかった1文字)
神奈川県側は午後もしばらく過ぎていたのでここで引き返し。
最後はご巡幸の石碑で締めくくり。
完