自分を見つける鏡なのです。 | ㎡の風呂敷包み

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文章、書きます。
自分の言葉を綴れる方~!コメント待ってま~~~す。

(著作権は記入者に帰属します!でっ、でも、引用は原著を尊重します。)

皆々様、こんばんわ!

寝るのにも体力が要ると聞いたことがありますが、
これはさすがに寝過ぎだろ~。
といった状況です。


オブラートに包んだ表現という言い回し。

「ウザい」
……。
「あら、御免なさい。言い直すわ。何馬鹿なこと言ってんだ、
ちゃんとしろや、そんなんだから、こちらの不満が積もるんじゃねぇか、
馬鹿野郎!!でしたわね」

と言った形で、聞くに堪えない罵声語を、言うよりは、
一時の感情を一言で言い流すほうがいいのかも。
そんなことを咄嗟に思ったのですが……。

実際は、長々と言い聞かせるだけの愛情がない。
それだけなのです。

罵倒しなければいけないのなら、相手の見ている先を想像して投げかけたい。
そこに、自身の人柄が映しだされているのだから。

融通の利かない社会と言ってみたり、テキトーな仕事ばかりの世の中と嘆いてみたり。
実際は、その時の感じ様だけなのです。
苛立ちは、接し方を勉強していないだけ。
感情を抑えて利益を手に入れようとしないといけないのです。
ただ、人と人の関係が残らないと思えてしまうような消費社会だと、
心は消耗していくのでしょう。

余分な消費を抑えたい消費者からすると、トラブルに寛容になれない。
サービス精神で、トラブルを解決して欲しい。
そんな図々しさが当たり前になるのでしょう。

なんともよく解らない事を考えてみたのでした。

〆(。。){大人になっていないんだよ