政見放送に漂うもの | 気むずかしいヨーキーとの暮らし〈いまだ溺愛中〉

気むずかしいヨーキーとの暮らし〈いまだ溺愛中〉

気むずかしくて犬見知りな愛犬ヨークシャーテリアに萌えまくる日々
趣味やおでかけや料理など愛犬中心の暮らしを綴るブログです

いつもブログをご覧いただきありがとうございます
今日は少し毛色の違う記事になっています

↓をご覧になってからよろしければ読み進めてくださると幸いです
 

思った事を徒然にそして熱く書いていきます
今日はうちの子は出てきません
こういう話を書く上で考えの違う方がいるのは承知の上です
どんな考えであっても、考える事自体をやめないでほしいという思いで書いています

私の認識不足な点もあると思います、不快に思う方がいらしたら申し訳ありません

無宗教でどこの党員でもありません

 ​政見放送に漂ううねり


犬にブラシをかけながら、政見放送を見ている平和な朝

いつの間にか核保有を訴える政党が増えてきたことに驚きました

個人的にはどんな条件がつけたとしても核保有は日本にとってはあり得ない選択肢だと思っています
思って、というより感じています
それは子供の頃から教え込まれたこと、非核三原則や戦争の放棄、というものが染み付いているからだと思います

私は子供の頃、そういう世代なのか、授業の中で原爆の恐ろしさを映画や漫画などが用いられ、多くの時間を割いて学びました
そこで大人達が注力していたのは、子供達に〈原爆を落としたアメリカを恨む子を作らない〉ということだったと思います
子供ですから、原爆の凄惨な被害を目の当たりにすれば、
あんなに酷い爆弾を開発し、日本人に使用したアメリカはなんで酷い国だ!
となっても不思議ではないのですが
、少なくても私のクラスでは1人もそんな事をいう子供はいませんでした
教師がそう言えと言ったわけではないのに、授業の感想を聞かれた子供達は口を揃えて
「原爆は恐ろしい武器、だから2度と戦争をしてはいけないと思う」と言っていました

もちろん、子供ですから思考のキャパシティを超えてしまって何も考えられなくなった子、そもそも考えを言葉にする事が苦手な子、面倒な子などが、最初に発表した子の真似をしているだけかもしれません
気づかないうちに大人に誘導されていたのかもしれません

どれにしても大人達の目論みは成功したのでしょう
戦争を知らない子供達の子供世代の私達はそうやって成長しました

そんな私が特に恐ろしいと思うのは、戦争の体験談に出てくる「仕方なかった」という言葉です
戦争へ向かう国の高揚感は大きな〈うねり〉で、逆らえないものであったのは理解できます
しかしその〈うねり〉というものが、テレビもない時代に、「国のために命を捧ぐ」というほどの強い思想が強烈な浸透力をもって国中に広まったのは何故なのか
それが〈うねり〉の特徴であるのなら、テレビやネットなどがある現代においては、あらゆる手段に乗って広がっていき、その勢いは当時の比ではないのではないか

私ら戦争ももちろんですが、その〈うねり〉に国が呑まれていく様を見るのが恐ろしいです
そして自らがそれを恐ろしいと感じなくなるのではと考えると何よりそれが恐ろしいです

侵略戦争をのぞけば多くの争いは
〈やらなければやられる〉
の恐怖感からくるものだと思います

今、日本はその恐怖を身近に感じ始めています

しかし過去の大戦がそうであったように、日本における〈やらなければやられる〉〈〇〇しなければやられる〉は〈うねり〉へ誘うためのキラーワードに過ぎず本質ではないと思います
恐怖で本質が見えず、いや隠されたのです

人の考えを変えることはとても難しいです
だからこそ各々が自分の考えをしっかり持ち本質を見ようとすることが大切です

私はたとえ侵略され迫害されたとしても日本に戦争はしてほしくないし、
そのためなら難民にでも、日本人ではなく何人になろうともかまわないと思っています
それすら叶わず命を落とすことになることもあるかもしれません
本当にそんな苦難を受け入れられるかわかりませんが
そう強く思っていないときっと〈うねり〉に呑まれてしまうから
〈うねり〉の中にいる人の言葉になびいてしまうかもしれないから極端なことでも強く心に思っておいています

私は、シンプルに
親が口を塞ぐために子を手にかけたりそれを隣人に強要されたり
家族の命に優先順位をつけざるを得なかったり
若者に命を捧げさせたり
人をあやめてこいと言ったり
そんな事を繰り返したくないのです

何より日本が約束した戦争放棄を守りたいのです

今の日本は
日本が植民地にした、または戦地にしてしまった国々の
その罪もない人々の犠牲と赦しがなければありえなかったのですから

もう2度と戦争はしません
その約束と引き換えに日本をゆるしてください
そういうことだと子供の頃教わりました
何もなかったことにはできないのですから、その約束くらい守りたいと思うのです

終わった後に「仕方なかった」ではもう済まされないのです

この選挙
それが〈うねり〉なのか、自分の考えなのかしっかり意識しながら投票していただきたいと思うのです
〈うねり〉は大きくなると逆らって進む事はとても難しいですから

余談ですが
政見放送で「自助の精神を持つためには神への信仰がかかせません」といっていた候補者がいましたが
自助の精神てそういうものでしたっけ??私の勉強不足でしょうか?

どの候補者見ても違和感だらけで困ってしまいます


 

長く拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました

個人的な思いですが、自分を形取るひとつなので綴りました
平和が全ての人に身近である世界になりますように