
思えばくだらない話、実の無い話ほど、なんだかんだ覚えてるもんである。
徳の高い話や政治的な話より、ファミレスで男ばっかで語る下ネタや馬鹿な話、ブラックジョークなどの方が話す側も聞く側も記憶に残るものだ。
まあ内容はざっくりとしか覚えてないとしてもだ!!
そんなわけで俺は今まで愚にもつかない与太話ばっかを周りで垂れ流してきたわけだが、今回は、そんな「与太話というのは万国共通だなぁ・・・」 と思わせる映画、パルプフィクションをご紹介します。
黒スーツのギャングコンビ、そのギャングのボス、ボスの妻、落ち目のボクサー、強盗バカップル・・・
そうした堅気じゃない奴らが、ハンバーガーがどうした、足のマッサージはエロい行為なのか、男女の気まずい間について、云々… という男子校の放課後みたいな与太話をしながら、唐突に死んだり、殺したり、生き残ったり、麻薬でぶっ飛んだり、カマ掘られたり を繰り返す。
とにかく、いろんな意味での立場や状況の逆転がバラバラの時間軸で連続していく。
劇中、fuckという言葉が250回以上も出ながらアカデミー賞にノミネートされる、など、お利口な映画ファンなら眉をひそめるような、映画の常識をフライングしているな映画なわけだが、やたら理屈やら意味を求める人は「この作品のテーマは何?何が面白いの?」と思う人もいるだろう。
その疑問に答えるとするなら「具体的なテーマや意味なんかねえよ!!だって与太話なんだから!!」としか言いようがない。
高尚な意味や理屈を求め、代官山あたりのカフェでチャイ(お茶っていえよ‼)を飲みながら、上から目線で映画を語るのが自分のオシャレの道具と勘違いしているような連中 に「お利口なファック野郎だ!」(©サミュエルLジャクソン)といいながら銃弾をぶち込むような映画である。
まあ、俺の頭が悪いので、それ位の理解しか出来ていないのが正直な話なのだが、とにかく理屈臭さ、説明臭さがない。
俺が頭の悪さMAXの中学生の頃、この作品を見た時、「見たな!!愉快な映画を!!」という印象を与えた意味でも良い映画だなぁ、と改めて思う。
特に、サミュエル・L・『マザファッカ』・ジャクソン扮するパンチパーマ以上アフロ未満のブラザー精神あふれるギャング 、ジュールスが、トラボルタ扮するヨーロッパ帰りの長髪ギャング、ヴィンセントと共に組織のブツを回収しに行くシーンは明日から真似したくなるというか、友人の家に行ってハンバーガーの紙袋を見つけたら真似したくなる名シーンだ。

自己紹介もほどほどに食いかけのバーガーを見つけ「おっ、このバーガーを食って良いか?」と学生っぽいニーちゃんに聞くジュールス。

「うん、栄養満点だ♪」
と、おもむろに食べるジュールス。


この一連のシーンに宿る緊張感。
映画史上、こんなに緊迫したハンバーガーを食うシーンはないだろう。
多分、このシーンがアカデミー賞受賞に繋がったんだろうな!と今でも信じて疑っていない。
そんな訳でニーちゃんが「取引がポシャって、ホントに申し訳ない」と言い訳しようものなら、ソファーで寝そべっていた、何も言ってない前髪の長い別のニーちゃんを唐突に撃ち殺し、「何かいったか?」と、これまた唐突にキレ始める。

ここからジュールスの1人コラコラ問答が始まり、ニーちゃんは心底テンパりながら答える。
しかし、「てめえはボスの尻に突っ込むような真似をしたんだ!!ボスの尻に突っ込んでいいのはボスの女房だけだ!」と、ジュールスの怒涛のマザファッカ連発のキレ芸はブレーキの壊れたダンプカーのようにますますヒートアップしていく。

そして、ひとしきりキレると、「お前は聖書を読んだ事あるか?この状況にぴったしの言葉がある」とジュールスが語り始める。
「......エゼキエル書25章17節。
心正しき者の歩む道は、心悪しき者のよこしまな利己と暴虐によって行く手を阻まれる。
心正しき者の歩む道は、心悪しき者のよこしまな利己と暴虐によって行く手を阻まれる。
愛と善意の名において暗黒の谷で弱き者を導く者は幸いなり。
なぜなら、彼こそは真に兄弟を守り、迷い子達を救う羊飼いなり。よって私はぁ、怒りに満ちた懲罰と大いなる復讐をもってぇ、我が兄弟を毒し、滅ぼそうとする汝に制裁を下すのだ!そして、私が汝に復讐する時、汝は私が主である事を知るだろう‼」
なぜなら、彼こそは真に兄弟を守り、迷い子達を救う羊飼いなり。よって私はぁ、怒りに満ちた懲罰と大いなる復讐をもってぇ、我が兄弟を毒し、滅ぼそうとする汝に制裁を下すのだ!そして、私が汝に復讐する時、汝は私が主である事を知るだろう‼」
と、何となくカッコいい引用を聞かせオーバーキルな弾丸を青年にブチ込む。
「食べて祈って恋をして」という映画があったが、こちらは食べて祈って殺す映画である。
間違っても代官山で話せる映画ではないのは確かだろう。
だが、男なら真似したくなるのは後者だけだ。
他にも、ボスの女房の世話を頼まれたヴィンセントがボスの女房、ミアと飛び入り出場したツイストコンテストで優勝し、意気揚々と帰宅してから待ち構える、スクリュー・パイルドライバーのような一夜。
ブルースウィリス扮するボクサー、ブッチの大事な金時計にまつわるダイハードよりダイハードな一日。
仕事を終えたジュールスとヴィンセントの車の中でゲロを吐くより悲惨な災難。
そして、ファミレスで勃発する、チンピラバカップルVSジュールス&ヴィンセントコンビのクールな銃弾のない攻防。
などなど、与太話は続いていく。
監督のタランティーノといえば自身が映画マニアな為、小ネタやパロディを随所にブチ込み、それを発見するのが作品を見る上での楽しみの一つと言われるが、別に知らなくても十分に楽しめる。
話は戻るが、この映画をはじめて見た後、映画なんか見た事のないリアル・ジュールスのようなヤンキーのNくんにオススメした所、「何か話がバラバラで、訳分からんかったけど、人が死ぬシーンと与太話にはメッチャ笑った!」というお墨付きを貰った。
恐らく、これが一番純粋な映画の感想だったのでは、と今になると思う。
彼は今カーディーラーをやっているが、ハンバーガーを食って唐突にキレたり、車に死体とかヤバいブツを乗っけていないかが気になる所だ。
とにかく映画を見る上で余計な薀蓄や上から目線など必要ない。
与太話に笑い、唐突なバイオレンスに笑えばいい。
そして与太話が出来なきゃ男じゃねぇ。
そんな事を教えてくれる、男の映画である。
あとチャイはお茶と言え!マザファッカ!