中年でもヴィジュアル系ギタリストの独断と偏見のブログ。

 

「ギターの神様」と言われているエリック・クラプトンについて

僕の見解を話したいと思う。
 

僕の中で、今のクラプトンは決して評価は高くない・・。
 

僕は、クラプトンは「ギターの神様」というより「先駆者」だと思ってる。
同系統のギタリストなら、僕個人はジョニー・ウインター

ミック・テイラーピーター・グリーンあたりの

ギタリストの方がはっきりとものを言っているように思える。

彼はドミノスの前と後では別人と僕は思う。

ドミノスの前のが好きだったね。
同じ思いの人は少なくないはず。

実は、1980年に日本に来たときに武道館に見に行ったんだけど、

音の出し方は確かに凄かった。
でも、一緒に来たアルバート・リー(カントリーの巨匠)のが

凄かったけど・

僕はクラプトンは一般的に言われてるところとは違うところで

凄いと思ってるので、そこを書いてみたいと思う。



①レスポール+マーシャルの現代ロックギターサウンドの基礎を

作ったのはクラプトンである!
僕が彼のプレイが一番いいと思うアルバムは「ライブ・クリームVOLⅡ」

なんだけど、このときのレスポール+マーシャルサウンドは

ロックサウンドの原点!

②いろいろなギター・アンプの可能性を最高に引き出している。
レスポール+マーシャルは先ほど言ったけど、その他にもクリーム時代は

写真のペイントされたSG.ジョン・レノンのバックの時には黒の

レスポール・カスタム。「レイラ」の時にはストラト+デュアルショーマン。
それから70年代後半に大流行したミュージックマンアンプ。
その他ギブソンエキスプローラー、ソルダーノアンプ等、
さまざまな機材の一番いい音を出してると思う。

③ストラトのハーフトーンをメジャーにした。

これは本当に凄いことだと思う。
「レイラ」のイントロは間違いなくストラトのセンターとフロントの

間にピックアップセレクターをセットして、デュアルショーマンに

つないでるはず・・。

④共演者に最高のプレイをさせる。
これってバカにしてる訳でもなんでもなくて、ミュージシャンにとってある意味

最高に必要なことじゃないかな?
デュアン・オールマンしかり、僕が武道館に見に行った時の

アルバート・リーしかり。

⑤ビートルズの曲に参加して素晴らしいプレイをしている。
「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイープス」でのプレイは

ジョージが作ったマイナーの曲にペンタトニックのフレーズで

素晴らしいプレイをしている!
あのソロもいいけど、バッキングが凄い!あんなプレイ思いつかない!
ジョンのバンドでのプレイはよくわからん。ヨーコさんの叫び声が

大きすぎ!(笑)

イギリス女王即位50周年式典のライヴでは、ジョージ・ハリスン死去への

追悼として、ポール・マッカートニーと共に

ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスを演奏し、

当時の録音同様リードギターを担当し、

加えて特別にリードボーカルも担当した。

⑥ルックスと名前が最高にカッコいい!
「エリック・クラプトン」まるでギタリストの名前!!

まあ、いろいろ書いたけど、あくまで僕の中でエリック・クラプトンは

先にも言ったけど、「デレク&ドミノス」までなんだよね。

それ以降はまったく違うアーチストと思う。

それでも、あのビートルズファミリーからも愛され、

現在もなおスターの地位にいるということは驚異的であると思う。

凄いところを①~⑥まで挙げたけど、

こうして見ると、やはり偉大だな~(笑)

今のクラプトンが好きな人はゴメンナサイ!

 

※レイラのサウンドはデュアルショーマンでなくチャンプらしい。詳細は不明。。。

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70年代後半、アメリカンハードロックの代表と言えば、

一般的にはキッス、ヴァン・ヘイレン、エアロスミスあたりだった。

それらの「一般受け」のバンドに対し、このモントローズはいわゆる

「通受け」のバンドで、これらのアメリカン勢の影に隠れていたバンドだが、

それらのバンドよりサウンド的にはずっと上だったと思う。

モントローズは、当時西海岸では有名なギタリストだった

ロニー・モントローズがリーダーで、

ボーカルはあのサミー・ヘイガーだった。

デビューアルバムのプロデュースには、すでにドゥービー・

ブラザーズを大成功へと導き、後にはヴァン・ヘイレンも

手がける大物テッド・テンプルマンが当たっていた。
その事でも、いかに彼らが期待されていたかが想像できる。
 
全編ロニーのドライヴの効いたギターがうなりをあげ、

サミーの脳天直撃シャウトとカーマッシのパワフルな

ドラミングが、これぞアメリカン・ハードだと言わんばかりの

痛快なハード・サウンドを生み出す。

とにかく1曲目のイントロを聞いただけでノックアウトされ、

ロック魂を揺さぶられることだろう。
2曲目の「バッド・モーター・スクーター」では、ドライヴ感は

そのままに、今度はスライド・ギターでバイクの音の真似を

するという面白いアイデアも盛り込んでいる。

それくらい

デビュー当時のモントローズは

鮮烈だった!

自分なども最初に聞いた1曲

「ロック・ザ・ネイション」だけで

完全に打ちのめされてしまった1人だ。

しかし、このイメージがあまりにも強すぎて、その後ファンは

戸惑うことになる・・・。
このバンドが、今一つ有名にならなかったのは、デビュー

当時のストレートで強烈なハード・サウンドがあまりにも

素晴らしすぎ、それをファンがいつまでも忘れられなく

なってしまいすぎた事であると思う。
また中心人物のロニーモントローズの目指す音楽スタイルが

1つの固定したものでなく、次々と変化しながら進化して行った

ということもある。

結局、モントローズは4枚のアルバムを発表して解散、

その後ロニーは「ガンマ」を結成して3枚のアルバムを出したり、

87年には再びモントローズとしてのアルバムを発表した。
しかし、80年代半ばの時点で、このシンプルなサウンドが

通用するはずもなく、彼らはまったく話題にもならなかった。

個人的には、「ガンマ」も僕は凄い好きです。

最後までモントローズはセールスという点では成功しなかったが、

そんな中でも、僕の知人の某有名ギタリストの何人かは

ロニーモントローズをフィバリットに挙げている。

70年代後半を代表するアメリカンハードロックバンドは

キッスやエアロスミスやヴァンヘイレンではなく

「モントローズ」の他にはない!

 

 

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若い頃、なんとなく泥臭さを感じて聞かなかった

「サザンロック」だけど・最近ドップリはまってる。
70年代はイーグルス等の完全にウェストコースト系の

バンドがヒットチャートの上位を占めていて、

僕ら当時の若いミュージシャンはそのサウンドを

参考にしていた。

どちらかというと、サザンロックは日本ではあまり

受けが良くないかな・・と今聞いても思う。

だけど、今聞いてみると、凄い奥深い!!

今のお気に入りは、オールマンブラザーズバンドの

デュアンオールマン死後のフィージョンぽい頃と、

リトルフィートのフィージョンぽい頃!!

どちらも、当時の「ミュージックライフ」ではメタメタに

けなされていた頃でしたが、僕はその頃のサウンドを

今凄い聞き狂っている。

特に、リトルフィート!!このバンドは半端じゃなく凄い!

実はL・Aのバンドなんだけど・・(笑)
このバンドのメンバーには一般的に一流と言われてる

ウェストコーストのミュージシャンは足元にも及ばない。

ギターのロールウェル・ジョージは

クラプトンよりはっきりと「格上」であり、

ジミヘンと同等と僕は断言できる!!

実際、ロールウェル・ジョージがクラプトンよりはっきりと

「格上」だということを多少なりとも理解してる人は

結構いるはず。

 

彼のプレイを聞くと、スウィープやタッピング

がマジ子供じみて聞こえる。

 

太く揺れているギターというか、表現のしようが無いほど

凄い!

ここで、ロールウェル・ジョージの紹介を・・・。

鬼才フランク・ザッパが、その偉大なる足跡の第一歩

としてつくったバンド「マザーズ・オブ・インベンション」、

のメンバーでしたが、ドラッグに頼ることを嫌うザッパは、

ローウェル・ジョージに対しドラッグを止めないなら

バンドを止めるよう宣告。
そんな訳で、彼はマザーズを脱退しリトル・フィートを結成。

 

しかし、こんな調子で始まったバンド(笑)だっただけに、

アルバムが売れるわけはなく、ファースト・アルバムの

売上は実にお寒いものだった。

しかし、このバンドは、ドラッグ漬けローウェル・ジョージの

レイドバックしたギターとクソ真面目なビル・ペインの

天才的キーボード、その独特のひねくれ具合を売りに

して、少しずつ上昇気流に乗り始める。

 

そして、3作目あたりからニューオーリンズ・サウンドに

影響され、彼らはその

セカンドライン・ファンクと言われる

複雑なグルーブを見事に自分たちのものにした。

こうして、人工の都市LAのセンスと南部のファンクが融合

した新しいファンク・サウンドが生まれた。

その頃生まれた「デキシー・チキン」はその代表作。

まあ、彼らが、こうして独自のサウンドを生みだすことが

できたのは、単にアイデアの勝利ではなく、各メンバーの

持つ驚異的なテクニックがなければ、この挑戦は

アイデア倒れに終わっていたはず。
そんな彼らの実力を知るには、彼ら唯一のライブ・アルバム

「ウェイティング・フォー・コロンブス」を聞いて欲しい。

もちろん、彼らはただ上手いだけではなく、

同じ時期に活躍していたフュージョン・バンド「スタッフ」が、

ステージでアルバムの再現に終止していたのに対して、

リトル・フィートは、ステージでは、アルバムとはまた違った

サウンドを展開し、ソロ・パートでは、驚異的なアドリブ演奏

を聴かせてくれていた。

特にビル・ペインのキーボード・ソロは凄かったらしい!

実は僕の知り合いが、彼らのライブを見たのですが

「各メンバーのソロ・パートはどれも実に凄かった!」と

興奮気味に話してくれたのを覚えている。

「これこそ、ザッパ率いるマザーズ直伝のインプロビゼーション

だった」と・・。おまけに、この時の来日コンサートには、

なんとホーン・セクションにあのタワー・オブ・パワーのメンバー

を連れてきていた。

さらに彼らは、74年の傑作「アメイジング」では、

ひねくれついでにアメリカン・ロック最高のオタク系

プロデューサー、ヴァン・ダイク・パークスを採用。

いよいよ世界一のマイナー・バンドへと成長。そして、

その間にもローウェル・ジョージは、80年代にやっと

メジャー級のスターになるロバート・パーマーのニ

ュー・オーリンズ・スタイルのデビュー・アルバム

「スニーキング・サリー・スルー・ジ・アリー」の制作に

協力したり、まったく無名だったリッキー・リー・ジョーンズの

「イージー・マネー」と言う曲を自分のソロ・アルバムで

取り上げて、スターへの道を切り開いてやったりと

独自の活動にも余念がなかった。

しかし1979年、ロールウェル・ジョージの脱退もあり、

バンドはあっさりと解散。その後ローウェル・ジョージは

あっけなく他界・・。

才能がありすぎて大きな評価を得られなかったという

典型的な例がこのロールウェル・ジョージなんだ。

日本では多大な才能がある天才

アーチストは評価は得られないので

当時日本ではそれなりの評価だった

フランク・ザッパ、ジェスロ・タルのイアン・アンダーソン、

ジェネシスのピーター・ガブリエルなども・・。

正直、今も昔も日本の音楽業界は「運」と「適度な才能」が

大成功の秘訣みたいになってる。
まあしゃーないか・・。

でも、リトル・フィートは本当に凄い!!