(2024年、明けました!)初貼り付けブログ🙇‍♀️



関東住まいの我が家、穏やかな元旦を迎えましたが、能登半島の地震で一変しましたね💦

お正月で帰省されていた方々も多いはず。。。



時差あって、こちらも長い揺れを感じて、久しぶりヒヤッとしてしまいました滝汗



YDのブログ。


九州の友人とメールをしましたが、

自衛隊の息子さんが2日に帰省する予定だったけど、待機になったと。。。


遠くて、何もできない私は被災地に思いを馳せることしか出来ないと思ったけど、


友人の、親としての思いを受け取り、

息子さんの無事安全の出動を願わずにはいられない…

こうして、違う立場の方々の思いを感じた日でした。


報道やニュース、画像などに触れると、やはり苦しくなります。



その中にあって、画面では見えない部分を支えてくれる存在…


災害時の現場や、避難先で、自衛隊の方々や、医療に携わる方々、専門の技術を持った方たちのおかげで、私たちは大変な中にあっても、少なからず「安心」の中にいる事が出来ます。


子を守る親もまた、ギリギリの中で子に「安心」を与える存在です。


遠くにいる私も、親として、子どもたちを守るために「安心」を届け、目の前を共に生きるだけ。



私は、手話を続けていますが、サークルの中で学ぶことは、


何かあった時(日常なら交通トラブル等、災害時の避難場所など)に、


情報を取りにくい方々(聴覚障害者)がいれば、

技術不足だとしても、臆せず、自ら「私、手話わかりますよ」って声をかけて、まず安心してもらう😮‍💨役割がある、という事です。

(医療など正解な情報保障が必要な場合は通訳者が必要です)


煩雑な落ち着かない場面で、相手が、

「コミュニケーションがスムーズに取れない」とわかると、お互い無意識に歩み寄りを「諦め」てしまうケースがある、と感じています。


聴者だけど、いつも反対側を気にしている、やはり今も、そうした方々が、閉塞な空間の中で孤立していないか…と、考えてしまいます。


少しでも、手話がわかる(もしくは理解があり、筆談やスマホの文字打ちで積極的にコミュニケーションを取ってくれる)聴者が増えると、いいなと思います。




手話を始めて、25年経ちますが(途中、出来ない時もあったけど)…ろう者の文化、言語(手話)は、私の中の積極性を育ててくれました。

元々、自信がない、引っ込み思案の人見知りの塊でした。


ろう者とのコミュニティにいると、

「わかんないけど、ビビらずやってみる」とか、「垣根を平気で越える」とか、「自己開示した方が、受け入れてもらえる」とか、

音声がない分、ストレートに伝える…とか。


思い込んでいる「自分の反対側」を、引っ張り出してもらいました。


「伝えたい」「伝わる」ことの安心感を知っているから、やっぱり、そーなっちゃう…。


でも、その感覚は、聴者(いわゆる普通であること)には受け入れにくいものなんだな、とやっと解ってきたところです(遅)。

聴者でありながら、ズレている。


理解されずに、苦しんだこともあったけど…


自閉っ子のタロの親として生きるには、充分に、必要なものを自然と身につけることが出来たと思います。

全部、ちゃんと繋がっていた✨


だから、これからも、

私ができることを、感じていることを、素直にやっていくだけです。



ここまでは自分の立場で、できること、感じていることを書いてみました。



もう一つ、見えない部分で思いを馳せるのは、

地球🌏に向けて、一日も早く穏やかに、鎮まりますように。という祈り🙏愛飛び出すハート飛び出すハート飛び出すハート

感覚的なことですが…



大晦日のYDのブログより(写真お借りしました)

全然、ふざけてません真顔




もっと右っ!→



大事なのは→→                           ココ↑

そっちかいっ!パー



soft &soft「優しさと、優しさ」

「柔らかさ」なのかもしれないけど、「優しさ」と受け取りました。

その下に、「思いやりが 地球🌏の何ちゃら…」

と、書いてある👀


そう、地球🌏にも思いやりを✨愛飛び出すハート飛び出すハート飛び出すハート



人間も地球も宇宙も、エネルギーの循環🔄


滞らない在り方って何でしょう。


自分が「⭕️まるっ!」であること、なのではないかな。。。。

ピカピカの完璧とか完全無欠とかの意味ではなく、


今、自分は精一杯、最大限に、自分を認め、

生きている「よくやってるね!私!⭕️」指差し愛飛び出すハート

と、生きることだと思います。


自分の中の「安心」に気付けば、力が湧いてきます。

そのエネルギーを循環🔄させたい。




優しさ=愛とするならば、

タグを組み、補い合って、包み込むことはできる。

優しくされたら、嬉しいし、その優しさをまた誰かにあげたくなる。

愛されたら、嬉しいし、受け取った愛はまた誰かにあげたくなる。



救済、救護、支援、援助など、こうした言葉が飛び交う現場でしょう。

言い換えれば、全て愛であり、


愛を受け取った(助けてもらった)人は、心も体も元気になり、その人はまた、誰かを救う事が出来ます。

(トイレットペーパー🧻のロゴから、壮大なところへ着地してしまった💦笑)


一緒に泣いたり、苦しんだり、受け止めたりもOK。

でも、そこで自分がパワーダウン⤵️してしまうとうまく回らなくなるから、

思い馳せ(愛を届けて)、ただ私は私の今を生きるのです。


今日もご無事でありますように。

日毎に、あなたの手元に安心が届きますように。



感じたことを書いてみるのも、私に出来ること、と思い、綴ってみました。(自己満足)





最後まで読んでいただき、ありがとうございます😊



被害がこれ以上、大きくならないことを願って。

被災地の方々が、少しでも眠って、心休まる時間がありますように。


家族、大切な人たちの立つ大地が、今日も平穏無事でありますように。


令和6年 元旦の空。