シカゴ現代美術館50周年記念展を見ると、

60年代から70年代の元気さがどんどん減衰する歴史を見せる展示なのだ。

 

あるいは、文化覇権国家でもあるアメリカの宣伝力に浮かれ信奉してきた、

私を含め観客を覚醒させるための展示なのか。

ともあれ、アメリカでは、20世紀末になるにつれ、現代美術の検証展が行われてきた。

 

 

     美術における新しい表現、刺激の開拓の探求も、

スポーツの新しい記録のように塗り替えられ、忘れられる運命の加速度が増すばかりだ。

 

そして作家にとって、大切にしてきたあるいは拠りどころにしてきた深遠な哲学に感動した観客も

日常続々流れる刺激に漂流するばかりなのだ。

 

かつてのように、巨匠と呼ばれ尊敬されることも遠い過去のことになった。

現代美術家も投機的なビジネスの対象に踊り、

あるいはノルタルジーに浸った結果が今日の状況である。

 

      かつてはアメリカの企業の多くは株のように浮き沈みの激しいものとは異なり、

人類が生まれて以来、美術の力と消えることのない安定感でコレクションをしてきた。

それも経済の低迷と社会の注目度が低下するに従い、

現代美術離れをするのは当然なのかも知れない。

      

       一方、この展示の中で注目したのは、

パブリックアート系の作家は社会での日常的な認知や貢献があるのか、息が長いというべきか。

 

ヴィト・アッコンチは、オーストリア、グラーツで建築のような大きな展開を見せた。

ヴィト・アコンチ/シカゴ美術館50周年記念展

 

ヴィト・アコンチ/グラーツ

 

ブルース・ノーマンは街中にネオンを使って、都市に哲学を浸透させる。

ブルース・ノーマン/シカゴ美術館50周年記念展

 

リチャード・セラは、ニューヨーク連邦ビルで、

今なら差別や格差社会の象徴を先取りした表現と思えなくもない作品「傾いた弧」で、

世界中に衝撃を与えた。

 

これらを見ていると、アメリカの現代美術家は美術館やコレクター相手の密室よりも、

カルダーのように、都市の中でこそ生き生きとした表現者になれるという気がした。

 

ルイーズ・ブルジョワ/シカゴ美術館50周年記念展

ルイーズ・ブルジョワ/ビルバオ・グッゲンハイム美術館

 

ジェフ・クーン/シカゴ美術館50周年記念展

 

村上隆/シカゴ美術館50周年記念展

 

村上隆/シカゴ美術館50周年記念展