歪められた朝鮮総督府 ~誰が近代化を教えたか 黄文雄 著、光文社
歪められた朝鮮総督府 ~誰が近代化を教えたか 黄文雄 著、光文社
植林、河川・砂防工事、ダム建設
李朝時代の飢餓の一因は、現在の北朝鮮と同様、森林破壊にあった。定住しない
焼き畑農民は、山林を焼き払い、一定期間耕作すると、他へ移ってしまう。さらに、冬
季の薪需要のための乱伐。そこに豪雨が来れば、表土は流出し、禿げ山となってしまう。
1885年にソウルから北朝鮮を徒歩で踏破した旅行者は次のような旅行記を残している。
どこまでいっても禿げ山と赤土ばかりで、草も全て燃料のために刈り取られている。山地が
痩せていて、昨年も沢山の餓死者が出た。ここは退屈極まりない土地で、山は禿げ山、
植生はほとんど見られない。
森林は緑のダムである。森林がなくなれば、降れば洪水、降らねば干ばつとなって、農業生
産は崩壊する。治水の前に治山が必要というのが、寺内初代総督の方針であった。朝鮮
総督府は1911年からの30年間で、5億9千万本の植林を行った。朝鮮全人口の一人あ
たり約25本という膨大な数である。[1,p114]
内村鑑三の日記には、ある朝鮮人から日本人が毎年沢山の有用樹木の苗木を植えてい
ることを感謝する手紙をもらって非常にうれしかったと書いている。[2,p39]
植林事業と平行して、洪水予防と灌漑のための全国的な河川事業、日本国内にもなかった
17万キロワット級のいくつもの巨大水力発電所建設、15万ヘクタール以上もの砂防工事等々、
大規模かつ総合的な国土開発事業が展開された。
これらの結果、水田開発が進み、明治43年の84万町歩が、昭和3年ごろには162万町歩と
倍増した。[1,p108]
こうした膨大な開発投資、産業保護を可能にした資本はどこから出てきたのだろうか。
宇垣総督時代の総督府予算は昭和5年で、約2億円の規模であった。それに対し、朝鮮内部
の税収は5千万円程度。日本の政府予算(すなわち日本国民の税金)から、毎年千数百万円
から2千万円の規模の補填がなされた。この予算獲得のため、総督府の関係者が帝国議会や大
蔵省の説得に奔走したというから、官僚の世界は今も昔も変わりない。それでも足りない分は、日本
の金融市場から集めた公債によってまかなわれた。[1,p142]
ちなみに大英帝国支配下のインドでは、その予算の1/3を国防費の名目で、イギリスに納めてい
た。それにも関わらず、第2次大戦で徴集した264万人のインド兵の費用は、イギリス人将校の給
料も含めて、インド自身に負担させていたという。[1,p179]
朝鮮総督府の事業は、その他にも教育の普及、工業発展など多くの面にわたる。その投資は、結果
的に見れば、すべて日本からの持ち出しで、我が国の経済に大きな負担となった。
しかし戦後の韓国は、このインフラを踏み台に、自由民主主義国として発展した。外交面での摩擦は
続いているが、台湾とともに、ある程度豊かな自由民主主義国家が近隣にあるということは、我が国の
現在の国益からみても、計り知れない価値を持つ。
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