我孫子武丸さんの作品は「殺戮にいたる病」とアンソロジーの「まほろ市の殺人 夏 夏に散る花」の短編を読んでいるので、これで3作品目となります。

 

「殺戮にいたる病」は言うに及ばず、「まほろ市の殺人」いずれもある意味”問題作”でありとても面白く、かつ驚いたのを覚えています。

 

さてこの「弥勒の掌」は我孫子さんの作品だから買いました。なので読むまで内容などは全く知らなかったです。

しかし本が届いたときに帯に「新興宗教」の文字が目に入ったので、残念ながら読む前に新興宗教絡みだと知ってしまいました(汗)。

 

そして読み始めました。

読んでいる途中は整然としてきれいな文章表現と、”教師”と”刑事”と交互に進んでいくハラハラドキドキする引き込まれる構成、そして何より面白い。

まるで小説のお手本を読んでいるような感覚でした。

 

しかしそこは我孫子さん!そんな教科書的な事で終わるわけはないと思っていましたが・・

やはりこの作品も”問題作”と言えそうな最終章の”弥勒”はシビれます(笑)。

 

読み終わった後に帯や表紙裏のあらすじを読むと、衝撃のラストっぽい事が書いてあるのをみて、この事なんだな~と納得しました。

 

なお読んでいる途中から蛯原は最後には”救いの御手”に仲間入りするところは予想できました。

あれだけの不正をしておいて、逮捕も免れない状況で蛯原が助かる道は救いの御手に入るしかないと思ってましたから。

しかし辻も入信するんだろうなとは思っていましたが、仲間になるとは思いませんでした。

 

それ以上に私にとって一番の衝撃はこの物語も【叙述トリックもの】だったことです。

そして二番目の衝撃が蛯原がひとみを、辻が千秋を・・お互いの妻を殺していた事です。

 

こんな展開を思いつく我孫子さんはすごすぎる!!!

これはご都合を超えています(笑)!!!!

 

私は叙述トリックには注意を払っていなかったので、辻の浮気相手の千秋(苗字)=蛯原の妻の和子(名前)は全くノーマークでしたので、その真相が明かされたときは悔しかったです。

 

よく考えれば「のだめカンタービレ」のもう一人の主人公の千秋真一も姓が「千秋」なので、辻の浮気相手の千秋も「名前」ではなく「姓」と疑うべきでした。

そして”千秋”はずっと”千秋”で記述され、苗字(実際には名前)が出てこないことが不自然だったことを疑うべきでした。

 

もっとも”和子”は蛯原の妻なので旧姓が”千秋”とは夢にも思いませんでしたが・・

 

読み直してみたら千秋和子が殺された『第二章 刑事』(52頁~)で冒頭に『一二月十九日、月曜日』と書いてあり、辻が千秋和子と出会った『第三章 教師』(79頁~)も冒頭で『辻恭一は十五日、十六日の二日を費やして・・』と書かれています。

 

第三章の辻の方が後に書かれていながら、日付が遡っていることに気が付いていればもしかしたら、千秋=和子に気が付いたかも・・いやたぶん気が付かないでしょう(汗)。

 

ちなみに私のブログでも登場人物の名前については、降田天さんの「 彼女はもどらない 」や中山七里さんの「 連続殺人鬼カエル男 」で、さんざん反省しているのですが・・気が付かないものですね(泣)。

 

アッと驚く叙述トリックと後味の悪い終わり方でしたが、やはりミステリー小説は面白いというのことが実感できました。

 

それにしても怪しげな宗教団体は怖いですね。

 

日本人の多くは怪しげな新興宗教にアレルギーがあるのにもかかわらず、それでも新興宗教は廃れることなく活動して、今も熱心に活動(信仰)している人もいる事でしょう。

作中にも出てくる信者の女優や企業の会長の井川のような社会的に信用のある者が教団のすばらしさを信じていて疑っていないようです。

 

教団の核心を知らない者に対して、素晴らしい団体であると錯覚させ、信者自らが積極的に私財をなげうったり、奉仕してしまうところがその教団の恐ろしいところでしょう。

 

ちなみにラストで蛯原に「金剛大師」の名前を与えたとありましたが、それが蛯原にピッタリすぎて思わず吹き出してしまいました(笑)。

この安直さも現実の宗教団体にもあるのではと思います。

 

さて我孫子さんの作品を読んだのはこれで3作目ですが、面白そうな作品はまだまだあるのでこれから読むのが楽しみです。

 

(個人的評価)

面白さ    ☆☆☆☆☆

叙述トリック ☆☆☆☆☆

宗教の怖さ  ☆☆☆☆☆

お手本的作品 ☆☆☆☆☆