彦島は源平争覇の際には、門司ケ関をかためた平知盛の前衛基地となった所であるが、伝説によると、彦島のほとんどは平家の子孫といわれ、彦島を拓いたのも平家ゆかりの十二家で、俗に「彦島の十二苗祖(河野、園田、二見、小川、片山、柴崎、植田、岡野、百合野、和田、利根、富田)」と呼ばれている。
 彦島本町の西楽寺の入口に「平重盛守護仏彦島開闘尊像安置」という碑があるが、その守護仏とは阿弥陀如来像で、もと東大寺に安置されていたものを平重盛が深く信仰してもらいうけ、これを平家の守護仏にしたのであったが、平家滅亡の際、植田、岡野、百合野らの落人が護持して彦島に潜入し、のち、これを知った西楽法師が、西楽寺を建立して本尊仏に阿弥陀如来をおさめたと伝えられるものである。そして、西楽法師は平家一門の菩提供養のため出家した人であったとか、彼は彦島に潜居して平家の再興をはかる落人たちにその夢を捨てさせ、もっばら農業や漁業をすすめたという。そうした西楽の徳を伝え聞き慕って、平家の落人で彦島に潜入する者が多くなり、やがて十二苗祖を中心にして彦島の開発は進んでいったといわれる。
 
下関駅から徒歩30分くらいのところにお寺があります。
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本殿はカギがかかっていますが、わずかな隙間から本尊を拝観できます。
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(2012.04.17 撮影)