天平の時代、聖武天皇の大願によって奈良の都に盧舎那大仏像が造られことになったとき、全国から多くの人が集められ、資材や牛馬も徴発されたが、椿ノ郷(萩市の古名) 川島の庄から若者が引いてきた白牛がひときわ力が強く、そのために工事は大いにはかどったという。

 

 このことが天聴に達し、若者は褒美として「国守(くにもり)」という姓と、美しい女官の一人葵の前をもらい受け、都をたって長門国へと向かったが白牛は途中備後(岡山県)の府中で病死した。やがて川島の庄に帰った若者は、葵の前の歓心を得るため、広い屋敷の東を流れる小川に黄金の延板を数いて化粧の水にするなど、いろいろと心を尽くした。が、そのかいなく葵の前は都を恋しがり、ついには自殺ともおぼしいありさまで死んでしまった。

 
 その霊を祀った屋敷内の葵大明神は、今も国守家の守り神であり、また、白牛の霊を慰めるために中津江に建立された白牛山竜蔵寺には、朝廷から勅額を賜わったという。
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2024.06.17に再訪問 大タブの木は力を感じますね。
周辺は道幅が狭く、駐車場がないのでご注意を!
 
 
 
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(2011.12.07 撮影)
 葵大明神
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   葵大明神の大タブ
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対岸の龍蔵寺に向かいます。
白牛舎
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 こちらが朝廷から賜った勅額でしょうか?説明がないのでよくわかりませんでした。
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正面の建物が文化財に指定されている観音堂。右の祠が白牛塚でしょうか。
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