久々に復活夢工場物語

いよいよ夢工場としてデビューする1年前

1985年9月、当時東洋一の大きさといわれていた

横浜そごうがオープン

事務所の社長山本さんが

お前らはこういうところでたくさんステージをやることが大切と言い

色々手を尽くしてくれて、

屋上のステージで毎週ライブをやることになったんだ



ステージ衣装は当時原宿の竹下通りからすこし入ったとこにあった

ヤクライドウとダーハイツという店で主に購入してたのを覚えている

意外と安かったんだよね

自分は黄色のだぶだぶスーツに青のネクタイ、なんとなく、いや思いっきり

財全さんあ!いや吉川晃司を意識していたな



ギターの浅井はすこし前までは貴船教授あ!いや世良公則を意識していたんだけど

この頃から聖子ちゃんに似てるといわれ始め思いっきりかわいいやつに変化



ア!益田といりさは写真がなかった・・・・・

そして忘れもしない思い出

当時渋谷から横浜までは自分と浅井の車に分乗して行っていた

である日自分は渡辺を乗っけて横浜に向かうことに

全然お金がなかったのでオイルを交換してなかったんだよね

保土ヶ谷の料金所を過ぎたところあたりから

エンジンから変な音が

やばい・・エンジンが壊れる焼きつきだと思った瞬間

渡辺が・・ひろべやばいUがもれそうだと・・

しかたない・・異音のする車をゆっくり走らせトイレを探す

おれ・・・エンジンーーーーー
渡辺・・・U------------

三沢公園から横浜駅川に降りる道でいったん停車

トイレはない・・・

エンジンの音はもう末期状態

県道に出たあたりで交番発見

渡辺・・・ダッシュ
車・・・・撃沈・・40万円

どうする渡辺

すっきりした顔でかえってくるなーーーー



でもこのそごうでファンになってくれて

デビュー後もずっと応援してくれている方が

たくさんいるので

すごく感謝しています

で!ファッション

服のセンスがない自分だが

その頃はみんないんちき業界人スタイルだ



もちろん腰巻スタイルも健在



ライブが終わってメンバーが集まり

いろんな人としゃべるとき

すこしスターになった気がしたのを覚えている



このあと1年もたたないで

ポニーキャニオンからデビューすることなどこのときはまだ知らない

でもきっかけになった大きなイベントのひとつには違いない