この「丁寧に扱う」というテーマは、武田双雲さんの本『丁寧道』にひきつづいての最近のシンクロです。
でも、少しニュアンスが違う。このまゆみさんのは、自分を大事に扱うと、人もあなたをそのように扱ってくれる、という「波動の同調」がメインになっています。
自分を愛して、親切にすると、世界があなたに親切にする……同じ波動のエコーです。
🌟自分を責めていると、世界がそれをまた同じような事件で体験させてくれる。
🌟しかし、双雲さんの「丁寧」は、もう少しニュートラルな「丁寧」な気がします。たとえばモノに対して、とか、何かをしているとき、そのものに愛を向ける、という濃密な「自分vs相手」という関わり意識ではない。全体の枠の中で、ただ「丁寧」波動で「ある」こと。
🌟うん、これだな、と思ったのは、エレベーターに乗ったとき、真ん中のバランスのよい位置に、ふと立ってみたとき。
「落ちないでね、ありがとう、エレベーター」という感謝意識ではありません。
🌟「私とあなた」の親密感よりも(もちろん近しさはあるのですが)、ただそこで正しいことをする、という感じです。なにか全体として。
お茶碗の渋を磨いてあげる(きれいを達成)、というより、たとえば洗濯物をまっすぐに干すだけ(意味なし)。
🌟それは、執着をしていないサラサラ感で、それでいて環境と自分が均質である、という一体成型の感じです。
何かをしてあげる、ではなく……いつでも、どの瞬間でも、「整い感」にいる意識です。
🌟だから回りのものを片づけるよりも、いま、ふっと窓をあける角度を変える、とか、細部にいる。いつでもできる。
達成ではなく、丁寧であるだけ……
この三分類でいくと、③に一番近いです。
①や②は、相手とか対象に対して行うのですが、③はただ自分が整うようにするだけ。
これが照見五蘊皆空(般若心経)なのか?
ちょっとだけその入口の振動を感じた気がします。エレベーターの真ん中に立ったとき。