「グレーゾーン」————白と黒のあいだの広大な無意識の領域こそ高次元? | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

梅雨の傘フェア(北斎のデザインをもとにしたHokusai graphic)

 

どこで読んだのだったか、斎藤一人さんの「グレーゾーン」。最近の気がするのですが、急に出てこないので、youtube検索してみました。

 「白と黒をハッキリつけようとするから、争いも悩みも起きる。でも、グレーという広い意識で生きれば・・・・・・」というような文脈だったと思います。

 

「世の中で白黒ハッキリつけなくてはいけない出来事は、法律などは別にして、そうあるものではないよ。たいがいのことはどっちでもいいことなんだよ。

人はどうでもいいことにエネルギーを使っているけど、エネルギーはそういうことには使わないの。
忠夫ちゃんが白黒ハッキリつけたくなったときは、「ま〜いいか」という言葉を口ぐせにしてみな。少しずつグレーゾーンが広くなってくるから。広がれば気も心も軽くなるし、人にも好かれるようになるよ」(忠夫ちゃんとは著者の遠藤忠夫氏)

 

 この遠藤社長が一人さんに、上のように諭された話は、youtubeにドーンと上がっています。

 彼が警察官の採用試験に落ちてしまったとき、斎藤一人さんが、落ちてよかったんだよ、と言ってくれた話です。

 

 あなたは白黒ハッキリつけたがる性格だから、警察官になると早死にしてたよ。

 

 自分を追い詰めるものが白黒思考。

 白黒、善悪をハッキリさせよう、と私たちは良いニュアンスで使いますが、グレーゾーンが多くなるほうがいい、というのが斎藤一人さんの主張です。

 

 

(ふつう「グレーゾーン」というと、どっちともつかない領域で、いいとも悪いとも言えず(有罪とも無罪とも言えないし)、また自律神経の不調など、病気なのかそうでないのかも、あいまいな領域です。「限りなく黒に近いグレー」とか・・・・・。一人さんは「昼と夜のあいだに「夕方」がある。これがグレー。それは昼と夜を結ぶものだ」と)

 

⭐️なぜだか急に「グレーゾーン」という言葉が思い出されたのです。世界や人に対してというより、自分に対しての寛容としての「追い詰めない」グレー。

 

 いわば「判定停止」。ノンジャッジメント。

 

 これは○、これは×、今日は成功、あれは失敗、のように、いつも自分に烙印を捺して評点をつけていることに、最近(home てる、おかげで)気づきました。

 

 世界は白黒、善悪・・・・・・で整理されてゆくべきものなのではなくて、実は現代文明国家では盲点とされ、未発達、未決済、未検証、処理不能のように思われるグレー領域が、真に生きてるということなんじゃないか。

 ジャッジをしない領域。二元論に目が行かない領域。

 矛盾に満ちた「色即是空」とか「無明が尽きることがなく、無明の尽きることもまたない」(般若心経の世界です)

 

⭐️一人さんはこれをわかりやすく世俗的に「白黒つけないほうがいい」と語っていますが、実はこのジャッジをしない生き方って、

 

「高次元」そのものではないか・・・・・・

 

 

バシャールは三次元のものごとには「陰と陽」があるけれど、高次元になるとそれはコインの両面で、どっちも同時に存在する、と語っていました。

 

 

「4次元密度以上になると、裏と表が統合された”コインそのもの”として体験する事になります。つまり、ポジティブとネガティブを”一つ”として捉える世界を体験する事になります。ですから、コインの裏と表のどちらかを体験する3次元密度の世界と違って、4次元密度以上の世界では”コイン”そのものの全体を体験する事になります。

 

4次元密度以上の世界では、物事を『ワンネス』として体験する世界になりますから、3次元密度の世界のようなコントラストで揺れ動く世界ではありません。そういった意味で言っても、4次元密度以上の世界はコントラストがありながらも、コントラストをあまり感じない世界でもあります。」(上に引用したバシャールのブログ)

 

 私はここにコインの画像を貼って、うーん、こんなんかな、と脳にインプットしようとしたのですが、これを「グレーゾーン」と考えてみると、ゆれうごく広大な水の面のように、「一でありながら多様である」「定まりがたい」力としてなまなましく感じられてきました。河水がぼこぼこと凹凸をなしている、「しぼ」の模様のようなところに夕光があたって、「ただそれである」(ソーハム=マントラの一つ)境地のようです。

 

⭐️世界はひとつ。そのひとつの世界が、しかしひとの数だけ無数にある。

 私のいるスフィア(球体)も完全な球体で、中であたふた、騒いでいる私も、球体の中にいる。怒ったりあせったりしてそれで自分をボコボコに責めたりしても、それも完全な球体の中。(「そう思える私がえらい」)

 

 さらに

 もうひとつ「自分の機嫌は自分で取れ」という、これもⒸ一人さんの言葉があったと思います。「上気元」とも書きます。

 

「自分の機嫌は、自分で取れ」

 

 なにげに深い真理です。自分で「自分を可愛がれ」(とも、一人さんはよく言います)」。

 他人や世間や社会に○○してもらわないと気分が治らない、救われない、外側のせいだ、ではなく、ただ自前で自分の世界は創造されてゆく。

 自分の機嫌は自分で取れる・・・・・・「私にオーケーを出す私がいるだけで」

潜在意識と顕在意識のふたりづれ・・・・・・