『バレンタイン・デー』通称VD!
青春真っ盛りの中学・高校時代
男子にとっては、その後の学生生活を左右するビッグイベントだった。


「チョコにかこつけてアンタの気持ちを告白しなさいよ
という女子達の背中を押してくれる素敵な日。


2月14日というのがまたいい!
これが2月14日がホワイトデーで
3月14日がバレンタインデーだったら
男女の順番が変わってしまい
男子が先に告白するという不利な条件になるからね。


「あのコ、俺のことどう思っているんだろう、はぁ・・・
「誰か好きな奴がおるんかぁ・・・
と星に向かって語りかけているような内気な男子にとっては
自分からアプローチをしなくとも向こうから告白してくれる(かも知れない)と
いう夢のようなイベントな訳だ。



このブログを読んでくれている女性の貴女。
貴女にもバレンタインデーにまつわる素敵なエピソードがあるでしょう。


「あんな頃もあったっけ・・クスッと感傷に浸ってるかも知れませんが
チョコを送られる側の男性の心理について一度でも考えたことありますか?
今夜は男子から見たバレンタインデー(以下、VD)の真実について語ります。


1月下旬から街はバレンタインムードに入っていく。
デパートではVDコーナーができ、雑誌などでも「本命の男性(ひと)にはこんなチョコ」
などど特集が組まれ始める。

意外に思うかも知れないがそんな喧騒の中でも
男子同士ではそれほどVDの話はしない。
前日だろうと当日だろうと同じである。
せいぜい会話の中で思い出したように
「お前、●●さんから貰うんじゃないんか?」と冗談ぽく触れる程度である。


「VDって待ち遠しいイベントなんでしょ?なぜ?」
確かにその通りである。


だが、言わなくていい事までズゲズゲ言ってしまう脂ぎったオヤジと
思春期の男子は別の生き物なのだ。



いかに無関心を装おうとも2月14日という日のことを
男子たちが忘れていると言うことは100%あり得ない。



学生時代、貴女方が目もくれなかったブサイクな男子でさえ
「誰がチョコをくれるのか?」
「チョコを貰った時、いかに平静を装うか」
「友達に冷やかされた時の対処法」
などを
心の中で100万回はシュミレーションしているものだ。



しかし男子と言ってもその立場は様々である。
「男子」とひとくくりに出来るほどことはそう単純ではない。
思春期男子には恋愛カースト制とも言うべき身分の差があるのだ。


最上位には
「彼女もいて、ヤルことやってますというブラフマナ(僧侶)
次に
「彼女はいるが、まだなんですと言うクシャトリヤ(貴族)

三番目に
「モテるけど彼女いませんヴァイシャ(農民)

そいて最底辺に
「モテないし、彼女って何ですか?」スードラ(奴隷)


身分も違えばVDに求めるニーズが違っていて当然である。
最上位ブラフマナからすれば
「今の彼女にバレれずに他の女からチョコを貰い、あわよくばその女も食ってやる」だし
貴族は「チョコはどうでもいいからイベントにかこつけてそろそろ身体を・・・」だろうし
クシャトリヤは「出きれば○○さんから貰いたい。ブスからは嫌。」
「誰でもいいから愛情表現であるチョコレートが欲しい」という
恋愛奴隷とは正常なコミュニケーションが成立するはずがないのだ。

二点目は
『一番大切なことは自分がチョコを貰うことであり、
人がいくら貰おうとも死ぬ程どーでもいい』

という思春期特有の自己愛だろう。

結構マジに「チョコいくつ貰えるんかなぁ」と友達に話して
誰からも何も貰えなかった場合、そのミジメさを笑い飛ばせるほど
思春期男子は強くない。


自分で自分を負け犬野郎と思うのはいい。
しかし赤の他人にまで「ま・け・い・ぬ」と蔑まれるくらいであれば
最初から「沈黙は金」で終始したほうが
成果0のVDを迎えた時のダメージは少ないだろうという自己防衛本能である。


よって家のカレンダーには2月14日に○印をつけて
期待に心をプルプルと震わせていたとしても
決してそれを他人に悟られるようなことはあってはならないのだ。


そしてVD当日、朝から男子の目線は女子のカバンの普段とは違うふくらみを
探す為に目まぐるしく動き、授業時間はその日のうちに起こるであろう
VD告白物語を夢想することでアッという間に過ぎていく。


「○○くん、△△さんが話があるって言ってるんだけど・・
「えっ・・なに?」
本命の女のコがパートナーのブスを伝令に使い呼び出し。
嬉しくてたまらないくせにわざと、とぼけてみせる。


その時の表情を完璧に作り上げることを脳内でイメージし続ける思春期男子。
女子達は彼らの果てしない妄想を知っていたのだろうか?


休憩時間といえば
「○○くーーん、ちょっといい?という
女子からの甘美なる呼び出しにいつでも応えられるように
男子同士で話していながらも心は全くそこになく、
全神経を教室のドアの開閉に集中させている。


「男同士、集団でいては向こう(女子)も声を掛けにくいかも知れない」
と先走り、一人だけ抜け駆けして
トイレに行くという自ら「声をかけられる隙」を作る奴もいる。


そして・・・「○○くーん口火が切られ
廊下で、空き教室で、放課後の部室で、渡り廊下で
祭りが始まるわけだ。


いつもなら真っ先に帰る放課後、
VDの日だけは30分ほど帰宅時間を延長してみるが
戦利品はなく、落胆する姿を見せないように偽りの笑顔で
ツレとチャリンコを走らせ家路につく俺。


せめてもの救いは「お兄ちゃん、チョコもらった?という
母や妹の意地悪な質問に「あぁ」とチョコを見せつけることが出来るほどには
義理チョコを貰っていたことだろうか。


「VD」、この切なくもスペシャルな長い長い一日。
学生時代は「VD」に振り回されていた俺。


イタズラ中学生から麻雀三昧のの高校生活、そして大学生でキャンパス生活を
謳歌しようとも年に一度のVDというイベントを思う時、心に灯りがともった気がした。



大学を卒業し入社した百貨店。
俺の配属は食品だった。


バレンタインデーには
「○○」とマジックで書き殴った男性社員の名前の下に
汚い箱がおいてあり
同じフロアのパートのオバちゃん達が
「売上貢献」という名の元に
安いチョコを各自の名前のついた箱めがけて放り込んでいた。



思春期の俺達を
あれ程やるせない気持ちにしたVDも
所詮は「経済活動」だと
その時、初めて実感した。

中学生や高校生の頃の俺が見たら
何て感想したのだろう・・・。


俺はその日からVDが嫌いになった。