本日のように、たとえ職場で女性社員同士が

「○○さんのお尻ツンと上がってるぅ~。



「ダメよ~、今はもうすっかりタレちゃってるから~。



「え~、でも●●さんのお尻触るの気持ちいい~。




などと嬌声を上げていても


しかも、彼女達の上司であるこのオレの席の真横で
堂々とお互いのケツを触りあっていても
今のオレは全く動じることはない。




32歳のオレは女性に対する一切の幻想を捨て去り
「このメス共がッ!!」
といつでも怒鳴りつけられるだけの器量を持っている。


全く大人になったもんだ。と、しみじみ思う。



昔の俺は決してそうではなかった。
女性というものに神秘を感じており、どんな単語からでも
エロ方向に妄想を膨らませていただろう。


多くの人がそうであるように
思春期から青年期にかけては頭の中はエロ一色だった。



中学生の頃は、仲間で集まってその家のオヤジが
隠し持っているHビデオを鑑賞するのが精一杯のエロガキだったが
(カツの家にあったビデオ
「女子大生SEX方程式」
田舎の純情中学生にはタイトルだけで満腹だった。)


高校生になり、多少知恵がついてくると
自らビデオ屋でエロビデオを借りる、という行動にもでるようになった。



当時から彼女とやることやっていたツウや
教育実習の先生とひと夏の体験を満喫した田村は
「本番やってないと意味がないわ」
投稿物人妻物を好んだように記憶するが


生まれて初めて裏ビデオを見た日
あまりのグロさに
その晩の夕食が食えなくなったサコッペや


とにかく彼女が欲しくて
妥協してブスに告白してもフラレまくっていたオレは
とにかく少しでも脱いでいたら
大興奮ってなもんだった。



エロビデオを借りた帰り道は
早く観たくてたまらず
自分でも信じられないくらいのスピードで
チャリンコをぶっ飛ばしていたし

自分の部屋にはビデオが無かったので
深夜にこっそりビデオのある居間で鑑賞する必要があり
なかなか寝静まらない家族に本気で殺意を覚えたりした。


それくらい思春期っていうのは
暴走気味なのだが、大学生になり
プライベートでもそれなりに余裕が出来てくると
今までは自分でも気づかなかった性癖が顔を出してくる。


AV女優オンリーだったそれまでの俺から
素人物に移行したのもそれくらいの時期だった。


一人暮らしの生活においては
「エロビデオ鑑賞」はもはや仕事とさえ言えたし
おそらく人生の中で一番エロビデオを観た時期として
俺の裏履歴書の中には刻まれている。


たくさん観たエロビデオ。
その中でも特に思い出深い作品名は
『投稿FUCK王国』だ



「投稿」、「FUCK」、「王国」どの単語が
当時の俺の何を刺激したのだろうか?


毎回、前回に借りたことをすっかり忘れて、
大学生活通算で計4回も借りてしまった。


学生時代を過ごした西宮のTSUTAYAの
データベースには一年に一度の割合で
「投稿FUCK王国」を借りている俺の記録が残っているだろう。


当時の俺はそんなエロな自分を恥じていた。
「こんなドスケベでいいのだろうか?」
真剣に悩んだりもした。


本日の新幹線通勤の車内で
オヤジ系週刊誌の袋とじ(ドエロ写真が掲載されている)を
人目を気にすることなく堂々と破り
日経新聞を読むがごとく、平然とヌード写真を眺める
隣のおっさんサラリーマンの姿は正直醜かった。


大人になるって
何かを得る代償に何かを失うものだと
強く感じた次第である。