「今日、ジャンするか?」
今ではすっかりご無沙汰だが、高校から大学時代にかけて
何度、繰り返したか知れない魔法の言葉。



何か予定があったとしても後回しにしようかな、と思わせるほど
抗いがたい魅力がその言葉にはあった。



高1の時、ジャイアン風に言うところの「心の友」の
S本豪こと、通称ツウが「絶対、おもれーけぇ、やってみいや」と
誘ってきたのが、俺と麻雀との出会いだ。



ツウは高校時代、停学になること2回、全国的には無名ながら
地元ではわりと進学校で知られている我が母校においては珍しく


当時、短ランを華麗に着こなし、ヤンキーの専売特許のパッキンヘアーに、
タバコはもちろん、喧嘩もこなすという、いっぱしの傾奇者だった。



「ヘッポコのように気合の入った髪形にしたい」と言って、
なぜか大仏のようなパーマをかけて登場したこともある。

ツウ、何回も言ったけど・・・俺はただの天パーだ。

俺と言えば、性格に少しだけ歪みがあったものの、
全く普通の真面目な、どちらかと言うと模範生であり、
ツウのような暴れ馬とは人生が交わるはずもないのだが、
同じ中学出身のよしみか、魔が差したのか、毎日のように一緒に遊び狂っていた。



こいつの「絶対、おもれーけぇ」は本当に曲者で
パチンコがいかに楽しく、且つ儲かるかを延々と吹き込まれ
すっかりその気になってしまった俺は
生まれて初めて行ったパチンコ屋で
100円分の玉も使わないうちに体育教師の石口に見つかり、
停学になったこともある。


そんなツウから教わった麻雀、これが頭の芯がしびれるほど面白かった。
4人で(俺達はより激しい3人打ちを好んだが)お互いが知恵を絞り
相手を出し抜くために役をつくりあげる楽しさ。



ポーカーフェイスあり、ブラフあり、チョンボあり、ガキながら
駆け引きには切ないほど興奮した。



それにこのゲームほど「運」とか「流れ」を意識させてくれるものはなく、
人生においてどれほど役に立ったか分からない。
しかも性格が思いっきり出る。


ツウは一発大物狙い、サコッペは堅実で控えめに「ロン」という
相手に対する気遣いがあり、ザコは慎重というか単に優柔不断、
シミが弱いくせに意外にイケイケドンドン。


温和だと思っていた俺が
短気野郎だとはっきりと自覚できたのは麻雀のおかげである。

ひとつだけ後悔しているとすれば
「もっと鷹揚に打てなかったのか?」の一点だけだ。
32歳になった今でも


『ヘッポコは1,000円を叩きつけて部屋から出て行った』とか


『金物屋の末息子のシンジに
「点棒が欲しいんか?やるわ、取れ!」と言って点棒を投げつけた。』



とか誰でも一度はありそうな若気の至りを、おもしろおかしく
酒の肴にされているし


「いや~今、俺も仕事で大変よ」と我慢強い大人になった俺をアピールしても
奴らは今でも俺を16歳くらいのキレやすいガキだと信じてやまず
「ヘッポコ=くそ短気」と言い続けているのだ。

それを言うなら
出会った頃「麻雀、おもしれえよ」と何気なく言った俺を
「堕落した人間、発見!」と大げさに騒ぎ


「ギャンブルというものがいかに身を滅ぼすものか」



「自分はそんなことをしたことも無いし、これからもする気はない」



と我こそは聖人君子なり、とばかり俺を口汚く罵っておいて
その後、親が身を削る想いで出した、なけなしの予備校費用を
ドブに捨てるほど、連日連夜「ポン!、チー!」とあけくれた挙句、
最終的には雀荘で見ず知らずの人間と
「あっ!それロンです」などどフリーで打つに至った
モンスターよしあきの方がよほどダメ人間のような気がする。



「ゲーム脳」という言葉があるが、
相手の業が恐いほど良く見える密度の濃いゲーム【麻雀】をやれば、
そんな難儀な脳みそになることもないだろう。



幸い俺のウチには今では使っていない麻雀マットと麻雀牌がある。
このブログを読んでいる君!
もし良かったらプレステ(Ⅰの方ね)のソフトと交換してあげます。
送料はそっち持ちでいいので。どう?どう?